
長女がモンテッソーリの幼稚園に入園する時のことだ。
1歳から、プレスクールに通っていた。3歳で入園するまでの2年間は週2回のプレスクール。
当然普通に幼稚園に入園出来ると思っていたが、私たちの場合は違った。お断りされることもあると、散々脅された(笑)。
娘は、モンテッソーリのお仕事はあまり興味を示さなかった。
この時点で私が気付いて方向転換していれば、娘に楽しい幼稚園生活を送らせてあげられたかもしれない。私は、モンテッソーリに合わない子は居ないと思っていたので、お仕事好きでない娘に問題があるのでは…。と思ってしまったのだろう。
この幼稚園に通って娘を正常化(モンテで使う言葉)させなければならないと考えてしまった。
幼稚園から帰ってくると、娘はボーッとしていた。本棚の本を端から端まで読んで、それを何回か繰り返す。パズルやブロックは選ばず1人での人形遊びを好んだ。
幼稚園入園の試験日、お仕事(教具)が用意された部屋に子どもと向かい、親は部屋の端に用意された椅子に座る。試験官はマジックミラー越しに子どもがお仕事に向かう様子と、親の接し方を観察し、評価する。
親が積極的に子どもを教具に向かわせようとすることはNG。
かといって、子どもがぼんやりしてお仕事をせずにフラフラしているのに、全く親が働きかけないこともNG。
母親と離れられず、お仕事へ向かえない事もNG。
子どもが自らお仕事に向かって意欲的に取り組んでいる様子が見られ、親はそれに口を挟まず、黙って見守っている事が、合格のモデルケースとなる。
長女がどうだったかというと、部屋に入ると、ママからは離れてお仕事には向かった。が、あまり意欲的ではなく、繰り返しはみられない(同じ教具を繰り返す事が大事とされている)。私は、娘が何か言ってくれば、対応はするが、見守る事に徹する。
結果は合格だったが、「お母さんが、立ち上がったら危なかったわね」と園長に言われた。
かなり恩着せがましくというか…、合格させてもらったみたいな感じ。
どうして、あの時私はあんなにも弱気だったのだろう。娘の行動は全てが私の責任になるような感覚。娘が折り紙が折れなかったり、紐通しが出来ないのは、私のせい。
一番可哀想なのは、娘。出来ない子というレッテルを貼られてしまった。入園から3年間、そんな思いを繰り返すことになる。
後に、この幼稚園の事を話して、子育ての先輩に言われた言葉がある。
「幼稚園時代なんて”へ”だよ。気にしなくて良い!子どもは元気で遊べば問題なし」
その時は、三つ子の魂百まで、”へ”なんかじゃない。私は今頑張らなければならないんだ。
今思うと、ちょっと怖い。まるで、モンテッソーリの呪いだ。
幼稚園の仲間とは、今、子どもが良くなる壺とかあったら、買っちゃいそうとよく言ったものだ。
娘は17歳になる。当時の事を今になっていろいろ話してくれる。私にとっては後悔しかない。
でも、小学校は娘がのびのびと出来る場所を選んだので、子どもらしい子ども時代をそこからはくぐることになる。私も6年間でだんだんとモンテッソーリの呪縛から抜けてきた。
当時の自分を本当に残念思っている。


コメント