自分のこと。

私が夫の稼ぐ力に尊敬の念を持って、彼に配慮して生活していれば、

私が我慢していれば、離婚という選択にはならなかったのではないか。

違うとも言えないし、そうとも言えない。

私の稼ぐ力は、弱いから子どもたちを支えきれない。

結婚してからも、私は公共機関でのフルタイムパートをしていた。

家を出る時間も早く、彼の帰りも遅かったので、常に睡眠不足だった。彼は家事はしなかったので、全て私の仕事だった。

「土日は出かけたい」と言われたが、私はクタクタだったしゆっくりしたかったので、「土日のどちらかにしてほしい」と伝えたが、あまり理解してくれなかったことを覚えている。

私はストレスから結節性紅斑になった。でも、彼は親身になってはくれなかったし、特に心配もしてくれなかった。こんなものかな…。と思って気にしないようにしていたが、逃げないで話し合うべきだったと思う。

勝手に家でのホームパーティを決めてきて、準備を全部させられた事があった。でも、この時も嫌なら嫌といえば良かったんだ。やらなければならないと思い込んでいた。自分の友だちを呼ぶことは無いのに、彼の友達のためにおもてなしをしなければならない。

今思えば、すごくすごく嫌だったんだから、やらなきゃ良いのだ。嫌になって自爆するくらいなら、やらなきゃ良いのだ。なぜそれが出来なかったのだろう。

自分原因論。全ては自分が撒いた種。

夫は、気がつかない。重い荷物を持っていても、手伝えない。「手伝って」と言えばやってくれる。だから、「やってもらえる?」と、子どもに言うように声をかけ、やり方を教えて、手伝うということを彼に教えた。

そんな事を2年ほどやっていたら、子どもが出来たらもっと大変になるな。と、漠然と思って、子どもを迎える事を躊躇した時も正直あったが、結局、私は子どもが欲しかったし、夫も望んだので子どもを迎える事が出来た。

17年の結婚生活だった。

私が悪かった。

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