11月10日
私は、小さい頃から何でも母に話して来たと記憶している。
大人になってからも、仕事のたわいない話から愚痴まで、本当によく話した。
好きな人が出来た時も、母に話していた。
結婚してからは、話さない時期もあったが、元夫は話し相手や相談出来る人ではなかったので、
また、母に何でも話すようになった。
ほぼ毎日電話をしていたし、夫との生活のストレスが溜まってくると、フラッと実家に帰った。
時には何日も泊まったり…。次女の出産の際は、8ヶ月実家に居た(笑)
夫と上手く行かなくなっていた時は、「嫌なら帰っておいで」と言ってくれた。
(でも、実際は歓迎されず、大分悲しい思いもしたが、それは病気のせいだった)
離婚してからは、母の認知症の症状が進み、話すタイミングは考えるが、それでも、子どもの事、仕事の事、何でも聞いてもらっていた。
母も、意欲的に聞いてくれたし、その時は楽しそうにも見えた。
今、母に聞いてもらいたい事がある。
次女の中学進学問題だ。
元夫の金銭問題からの流れで、私立中学の内部進学を諦めることになったのだが。
はじめは、心配させるから話せない。だったのが、
自分が一番つらい時には聞いてもらいたい!となった。
弟には、なぜ話すの?酷だよ。ときつく意見された。
両親は、孫が可愛い。費用を援助すると言いかねない。でも、それで良いのか???
それは、私にとって娘にとって良いことなのか?
はっとした。
誰も信じないと思うが、援助をしてもらおうとは、全く考えていなかった。
ただ、いつもの様に話したかった。そして沢山泣きたかった。
でも、話せばそういうことだ。無意識にそう仕向けている事になる。
助けてもらう事に期待して話していることになる。
なんて幼い思考回路だ。
私は、両親に相談せずに、言わずに事を進めた。(内部進学の辞退。次女への説明)
娘は泣いてもどうにもならない事を理解し、内部進学はしたいが、仕方ない、公立に行こうと思ってくれている。
仲の良い友達にも話したようだ。
母に、今の私の情けない気持ち、不安、悲しさ、寂しさ、辛さ、全部聞いてもらいたい。
もう、話しても良いですか?
助けてもらいたい、アピールではないと信じてもらえますか?
それとも、だまってひとりで今を乗り切らなくてはならないのだろうか。
この年になっても、母に聞いてもらいたい。と思う私は、変なのかな。



コメント