夫と別居し、両親と娘と生活するようになって、母との関係が悪くなった。
病気のせいなのだが、まだ皆が母の病気を見て見ぬふりをしている頃。
生活がうまく行かなのは、主婦が2人居るからだ。
ともっともらしい事を父が言ったが。
「違う!」
と私は思っていた。
2人の娘の弁当を作るためと自分が仕事に出るために4時ごろ私は起床だ。
それが母は気に入らない。
キッチンを使う事が気に入らない。(作らないのに)
早く寝たいので、子ども達の習い事等の隙間にお風呂を頂きたい私は、
両親に断って、まだ入らないというので風呂にお湯を溜めた。
先に入るのが信じられないと、怒り出した。
今までそういう扱いを母から受けてこなかったので、「なぜ?」と思った。
離婚ということは、それほど母をがっかりとさせる出来事なんだ。と理由をつけた。
母との生活がつらすぎて、一度家に帰ろうとしたことがある。
「そんな軽い気持ちで出てきたのか?」と、父に腕を掴まれた。
その時の私は、実家に居るほうが自尊心を傷つけられたし、意地悪な母から逃げたかった。
何を言っても信じてもらえないし、自宅には帰れないし、離婚はしたいし、
頭の中がぐちゃぐちゃの頃、父が団地の一室を買ってくれた。
この一件も辛い出来事があったが、それはまたの機会に。
こんなに有り難い事はないし、感謝こそすれ、両親に口答えをする私はバカだと弟は言った。
理不尽なことを言われても、だまってがまんしろ。と…。
その時は、まだ私が大人になれてなくて出来なかった。
今なら、もっともっと分かる。
この家があることで私たちがどれだけ幸せに暮らせるか。
家を用意してもらった後も、母が荒れていたので、
一緒に住みたい。病名がはっきりした時も、だからこそ一緒に住みたいと言い続けた。
引っ越しの準備は、本当に大変だった。
実家の家事、子どもの事、仕事のこと、引っ越し。全部が同時進行。
夫は、部屋で仕事をしていたが、一切全く手伝わなかった。でもそれは、いつものことだ。
今までの引っ越しはいつも母が手伝ってくれたが、
しかし、今回は一切手を出さなかった。
その代わり、父が準備が遅い、あれはやったか、これはやったかと質問攻めにし、
文句だけはたくさん言ってきた。
父は私の事が嫌いなんだ。厄介払いをするんだ。
そうかもしれない。
でも、根底に愛情はあった。
そこに目を向ければ良い。歯を食いしばって頑張るんだ。
長女とひたすら段ボールに荷物を詰めた。



コメント