今日は、母のセカンドオピニオンの日だ。
私は仕事のため同行出来なかったが、頼りになる弟が病院の付き添ってくれた。
父が母の状態を医者に正確に伝えるには、隣に母が居ない方が良い。
弟の工夫により、父が一人で医者と話せる時間を確保することが出来た。
結論から言うと、2人は今回の医者には好印象だった。
なぜか。
それは、説明をきちと知てくれること。だ。
前の医者は違った。
「今回の薬は、以前より強いものと認識しても良いですか?」と患者。
「違う薬です」と、医者。
自分で調べろということなのだろうか。
今回の医者は、この”違う”を説明してくれるみたいだ。
もう以前の病院には行かないと決めたようだった。
「なんて話そうか。次の予約をキャンセルしなくては。」と、前の病院に義理立てをする父。
私からしたら、病院を変えるなんてよくあることだし、前の先生が悪いことをしたわけでもなく、
より良いと判断して、新しい病院を選んだにすぎない。気を使う必要はない。
両親は、そうなんだ。医者の言う事を信じ、話を親身に聞いてくれなくとも、
そんなものかと、言う通りに通い、薬を受け入れる。
認知症という病気は、人間がなるのだ。
それなのに、病気しか見ずに淡々と薬を処方し、人を見ない。
患者が、攻撃的ならば、眠らせておこうと言う。
眠らせるなんて表現、ナンセンスだし、人を何だと思ってるんだ。
アルツハイマー型認知症は長い介護生活になる。
今回の医者が、親身になってくれる医者であることを願わずにはいられない。
母は、今まで飲んだ薬はやめて”違う”薬を飲む。
ちゃんと説明してくれているから、母自身も納得している。
今日は母の電動自転車が無くなってしまった。
母が乗って行って、乗らないで帰って来たのだろう。
どこに行ったのかを忘れてしまっているから、推理しなければならない!
灯台下暗し、近所のパン屋で電動自転車は見つかった。
今日は良い日だ。



コメント