同居するつもりだった。
両親もそのつもりだった。離婚して、子どもたちを連れて実家に戻る。それが自然な流れだと思っていた。
でも、うまくいかなかった。
実家で、母が変わっていった
実家にいると、母が変なことを言うようになっていた。
私の物がなくなった、と言う。お金のことで、あることないことを言う。空間のこと、生活費のこと——言いがかりとしか思えないことが増えていった。
母と私は、ずっと仲良しだった。喧嘩もするくらい、言いたいことを言い合える仲だった。だから私は、理不尽だと思ったことには「それはひどい」と言い返した。
ある日、言い合いになった。そのとき私は言った。
「お母さん変。病院に行こう。」
「一生死んでも許さない」
母は怒った。
汚い言葉で詰られた。子どもたちの前でも、容赦がなかった。
「一生死んでも許さない。」
その言葉は、今でも耳に残っている。
父は母の言うことを信じた。昔からそういう人だった。母が言えば、それが全てになる。私は泣いて父に迫った。「私のことそんなふうに思ってるの?」と。でも父は庇ってくれなかった。
結果、私は追い出される形で実家を出た。
黙って聞いていればよかった、と父は言った
後から、父に言われたことがある。
「黙って全部聞いていればよかった」と。
その言葉は、たぶん正しい。大好きなお母さんが何を言っても、受け流せばよかった。年を取ると変なことを言うこともある、くらいに思って、ただ黙って聞いていれば。
でも私には、できなかった。
仲良しだったから、言い返してしまった。それが正しかったかどうかは、今でも分からない。他に言い方があったのかもしれない。そこはずっと引っかかっている。
父が庇ってくれなかったのは、父なりに母を守ろうとしていたからだと、今は思う。あのころの私には、そう考える余裕がなかっただけで。
2年後、母が言った言葉
それから2年くらい、関係はギクシャクした。離婚と、母の病気が、同じ時期に重なっていた。私には行き場がなかった。
2年くらいが経って、母がふとこう言った。
「それでも、理茶のおかげで検査したんだからよかったじゃない。」
その言葉を聞いたとき、私はどんな顔をしていたのだろう。泣いたのか、笑ったのか、覚えていない。
言わなければよかったとは思わない。あれしかなかった、とも思っている。
ただ、答えは出ないまま、それでも前に進んでいる。
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