「家がやなんでしょ」——認知症の母の一言が、父の限界を教えてくれた

介護の知識

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今日、実家に顔を出した。

ちょっと寄るつもりだった。でも帰ってきた時には、心がずっしり重くなっていた。

「お父さん、元気ないじゃん。なんかあったの?」

父の顔を見た瞬間、何かが違うと思った。

「お父さん、元気ないじゃん。なんかあったの?」

軽く聞いたつもりだった。

その時、母が口を開いた。

「外では元気だから。家がやなんでしょ。自分で楽しくすれば良いのに」

すごく意地の悪い言い方だった。

もちろん母に悪意はない。認知症だから。頭ではわかっている。でも言葉は、ちゃんと刺さる。父にも、そこにいた私にも。

父の顔を見た。

疲れ切っていた。どうしようもない、という顔だった。

その日起きていたこと

後から聞いたわけじゃない。その場にいて、少しずつわかったことだ。

母が家計の財布からお金をちょこちょこ抜いてしまう。だから父が自分で管理するようにした。

すると今度は母が「財布がない、盗られた」と怒り出す。自分で買い物をするわけでもないのに。

「盗られた」と言うのがなぜなのかは、なぜ何度も同じ話をするの? に書いた。

父が冷凍の焼きおにぎりを「いくつ食べる?」と聞いた。2個と言うから4個温めた。でも母はすぐ忘れて、カップラーメンを食べようとしていた。

そういう小さなことが、毎日積み重なっている。

「いつ帰るかわからない。ここにいてもつまらん」

父はそう言い残して、出かけてしまった。

向かった先は、実家から30分ほど離れた自分の畑だった。

畑といっても、そんなに通っているわけではない。行かないと荒れてしまうから、たまに行く。特に何かを育てているわけでもない。ブルーベリーの木があるくらいだ。

あの日父に必要だったのは、畑の用事ではなく、ここではない場所だったのかもしれない。

行き先があってよかった、と思う。同時に、そこしか行き先がないのか、とも思う。

私は、実家に残った

父が出ていったあと、私はそのまま実家にいた。母を一人にしたくなかったからだ。

うちは、GPSで父の居場所がわかるようにしてある。だから、父が畑にいるのも、そこを離れたのも、画面でわかる。

そろそろ帰ってくるな、と思ったところで、私は自分の家に帰った。

父が実家に着いたのは、夕方だった。

父と入れ替わるように、私は帰る。顔を合わせないように、というわけではない。ただ、母が一人になる時間を作らないようにすると、そういう形になる。

介護者が限界になるサインは、派手じゃない

怒鳴ったり、泣いたりするわけじゃない。

ただ、顔から表情が消えていく。

「どうしようもない」という顔になっていく。

顔から表情が消えるのとは別の形で、父が限界を見せた日もある。腰を痛めても「大丈夫」と言い続けた日のことは、父が限界だったあの日 に書いた。

どちらの日も、父は何も言わなかった。

それが限界のサインだと、私は思っている。

その時が来る前に

父のような状況になった時、選択肢はある。

  • デイサービスを増やす:母が外に出る時間を増やし、父が一人になれる時間を作る
  • ショートステイを使う:数日間、母に施設に泊まってもらう。父が休める
  • 特養(特別養護老人ホーム)の申請:入居まで時間がかかるからこそ、早めに動く

「まだ大丈夫」と思っている間に申請しておくことが、介護者を守ることに繋がる。

父の顔を見て、私はそう思った。

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調べてわかったこと——答え合わせ

母の「外では元気だから。家がやなんでしょ」という一言が、ずっと引っかかっていた。あれは何だったのか、調べてみた。

「外では元気」は、本当だった。そしてそれは、信頼の裏返しだった

認知症の人と家族の会で長く連載をしている医師の杉山孝博さんは、こう書いている。認知症の人は「よく世話をしてくれる介護者に最もひどい症状を示し」、「時々会う人や目上の人にはしっかりした言動をするのが特徴である」と。

そしてその理由について、こう続けている。認知症の人は介護者に嫌がらせをしているのではなく、「子供が最も信頼している母親に甘えて困らせるように介護者を絶対的に信頼しているから認知症の症状を強く出すと考えるべき」(認知症の人と家族の会「連載/知っていますか認知症 No.2 身近な人に強く出る症状——それは信頼されている証拠」)。

つまり、きつい言葉が誰に向くかを決めているのは、その人への恨みではなく、距離の近さだということになる。

母が父にいちばんきつく当たるのは、父がいちばん世話をしているからだった。

理屈はわかる。でも、言われている父は、毎日それを受けている。

ショートステイは、本人のためだけの制度ではなかった

この記事で私は、ショートステイを勧めている。それなら、あれは本人を預ける制度なのか。調べたら、違った。

厚生労働省の介護サービス情報公表システムには、短期入所生活介護(ショートステイ)について、「自宅にこもりきりの利用者の孤立感の解消や心身機能の維持回復だけでなく、家族の介護の負担軽減などを目的として実施します」と書かれている。

利用できる場合として挙げられているものの中にも、「家族(介護者)の身体的・精神的負担の軽減」がはっきり入っている。

介護する人が休むために使っていい。それは遠慮ではなく、制度にそう書いてある。

——と書きながら、正直に言うと、うちはまだショートステイを使ったことがない。デイの回数も、あの日から変わっていない。

制度があることと、使えることは、別だった。

最後に

認知症の人は、傷つけようと思って言葉を発しているわけじゃない。

でも介護者は、毎日傷ついている。

その疲弊は、外からは見えにくい。本人も気づいていないことが多い。

だからこそ、そばにいる家族が気づいてあげることが大切なのだと思う。

「お父さん、元気ないじゃん」

そう声をかけたところで、父は返事もしない。

母がいじめているからだと、私にはわかる。わかるから、なんと言っていいかわからない。

それでも私は、今も父に声をかけている。

返事がなくても、気づいている人がここにいる、ということだけは伝わればいいと思っている。

ショートステイも使っていないうちが、それでも施設を考えた日のことは 「認知症の母を施設に入れたい」と思った日 に書いた。

父の様子を医者に伝えるために作った紙のことは 医者に渡す「一枚」を作った に書いた。

自分の怒りの置き場所については 認知症の親に怒ってしまう自分が嫌だった に書いた。

👉 食事の準備そのものを外に出した話は、配食サービスを入れて変わったこと——「おかずだけ」でも、家の空気は変わったに書いています。

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