
餅つきは実家での恒例行事。
今年は行われるのか?
母がアルツハイマー型認知症の傾向が現れた頃から、聞けなくなっていた。
母は、働き者で家事のスピードは今も私には追いつけない。それだけに現実が母をイラつかせる。記憶はどんどんこぼれ落ちていくし、やる気が起きない。行程が長いと(忘れて行くから)続けられない。
いつだかTVで「認知症を、辛い病気と思うかもしれませんが、本人は忘れて行くのである意味幸せですよ。」と言った。そんなわけない。忘れてしまうかもしれないけど、忘れないとやっていられない病気だ。
父は無口で、あまり喋らない。そんな父が電話をかけてきて「餅つきをやるからいつなら良いか」と言った。娘も喜ぶし、私は喜んで手伝う気満々!
実家に顔を出し、「何時くらいから始める?」
私が聞くと、意地悪な顔で「あんたは当てにしてないから」たまに出る関西弁訛りで言われた。
娘とはこんなものだ。私も家のことがあるし、優しさで言っているのだとは思う。でも、意地悪な言葉はやっぱりモヤっとするし、良い気分はしない。
餅つきの日、娘と実家に行くと、大福を作るための餡子がピンポン玉位の大きさで綺麗に並んでいた。母の仕事だ。お母さん調子良いのかな?と思わせた。
きなこの袋が空いていた。お砂糖も側にあった。おそらく味付けしてあるんだろう。と思わせた。
だからつい、娘に「きな粉もちもあるよ」と言ってしまった。
「そんなの無いわよ。」と母。「お母さん味付けしてたよ」と父。そこを問い詰めなくても良いと思うのだが、父は正論をかざしてしまう。母は、餅を丸めるのも上手く出来ないとすでにイライラしていたから、機嫌がより悪くなった。
餡子を均等に分けて綺麗に下準備して、餅を上手に成形出来るのは、”当たり前”。でも、段取良く餅つきを進められない事には、(もちろん!責めたりはしないけど)ちょっとした”間”や、お母さん下手になったな丸めるの。とか、言葉に出さなくてもそんな雰囲気を母は感じてしまう。
きっと今の母にしたら、すごく頑張って餡子を成形したんだと思う。
そこに反応して、もっと感謝を伝えればよかった。
アルツハイマー型認知症とのお付き合いは、本当に難しい。
手伝ってもらえて楽が出来た。と、ゆっくり座って機嫌よく居てくれたら良いのにと思ってしまうが、そうではないのだ。娘には手伝うべきと思う気持ちと、実家でゆっくりさせてあげたいという優しさが、ぐるぐると混在しているのだ。
年末だ。しなければならない。としたくない。が、母の頭で混沌とし、イライラさせる。何を用意して良いかわからないと言って、気付いたらお飾りや蒲鉾が2セットあった。
そこを上手くスルーして、父がお付き合いするのは難しい。
私に頼ってくれれば良いが父はそうはしないから、仕方ない。
長くなるであろう母のお見送り。始まったばかりだ。
共倒れしないように、私は頑張りすぎない事を頑張る。
私を疲弊させる、父の吐く毒舌は、優しさの裏返し(笑)と思って、忘れる。
餅つきを無事終えて、そんな事を思った。
私の日常が、いつかどこかの誰かの参考になれば嬉しい。



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