骨折は、一応治った。
ギブスも外れた。でも母は「痛い」と言い続け、自分で湿布をして包帯をぐるぐると巻いてしまう。固定されたまま動かない。リハビリにならない。
父が怒る。母は「痛い」と言う。
その繰り返しだった。
「仮病じゃないの?」と思ってしまった
正直に書く。
毎日見ていると、そう思ってしまう瞬間がある。
本当に痛いのか、痛みより「包帯で固定されている安心感」が好きなのか、もうわからない。
でも、これは認知症介護をしている人なら、きっと誰でも一度は感じることだと思う。だから正直に書いた。
認知症と痛みの関係
認知症の方は、痛みの感じ方や表現が変わることがある。
- 本当に痛い時もある
- 「リハビリ=痛い」という記憶だけが残って拒否することがある
- 固定されている「安心感」を求めている場合もある
父が怒る→母が意固地になる→リハビリが進まない。
悪循環だとわかっていても、止められない日が続いた。
お風呂のこと
骨折してから、お風呂も難しくなった。
一人では洗い忘れてしまう。痛みもある。父が手伝っているが、毎日のことだ。
デイサービスで入浴を、と提案したが、父は「必要ない」と言う。母の気持ちを汲んでのことだろう。父なりの愛情だと思う。
今日、タイミングが合って私が手伝った。
母の身体を見て、ちゃんと洗えていないのかもしれないと思った。念入りに洗った。髪の毛も久しぶりに洗った。
「気持ち良い」と母が言った。
タイミングがあって良かった、と思った。
疲れるのは「やること」じゃなくて「やりとり」
入浴の介助自体は、そんなに大変じゃない。
母はまだ自分でできることも多い。指示すれば自分でできることもある。
でも、「入る入らない」「自分でやるから!」というやりとりで、じわじわ疲弊していく。
介護で疲れる理由は、作業の大変さより、毎日繰り返される小さなやりとりの積み重ねなのだと、最近気づいた。
拒否の裏側には、理由があるらしい
あとになって調べて、少し楽になったことがある。リハビリの拒否は「わがまま」でも「仮病」でもなく、裏にいくつかの仕組みがあるらしい。
ひとつめは、痛みの記憶だけが残ること。認知症では、体験そのものは忘れても、そのとき感じた感覚や感情だけが残ることがあると言われている。「リハビリで何をしたか」は思い出せないのに、「痛かった」「怖かった」という体の記憶だけが残る。だから「もう痛くないよ」「今日のは軽い運動だよ」と理屈で説明しても、届かない。母の中では、リハビリは中身のない「嫌なもの」になっている。
ふたつめは、失敗を見せたくないこと。できなくなっていることは、たぶん本人がいちばん先に気づいている。思うように動かない自分を人前で見せるのは、怖い。指摘されると強く怒るのも、同じ理由だと思う——図星だから怒るのだ(認知症の始まりは、父が食器を洗いはじめた頃だった)。
みっつめは、手順がつながらないこと。「腕を上げて、ゆっくり回して、そのまま止めて」という複数の指示を、順番どおりに組み立てることが難しくなっていく。体は動くのに、動作の段取りのほうが先に消えていく。うちでは、洗濯物のハンガーで同じことが起きていた(認知症の母が干した洗濯物は、ぐちゃぐちゃだった——それでも直さないと決めた理由)。
こう並べてみると、母は「やらない」のではなくて、「できない理由」が三重になっているのだった。
うちで効いた声かけ・効かなかった声かけ
そのうえで、うちで実際に試して分かったことを書いておく。
効かなかったのは、正論と説得。「リハビリしないと動けなくなるよ」は、うちでは火に油だった。正しいことを正面から言われるのは、母にとって「否定される」ことと同じで、それ自体が怒りの引き金になる(認知症の母が急に怒る——わが家で見つけた「3つの引き金」と、効いた対応)。
効いたのは、この3つだった。
①指示はひとつだけ。「立って、こっちに来て、腕を出して」ではなく、「立とうか」だけ。ひとつ終わってから、次をひとつ。
②短くひとこと、事実だけ。「痛くないよ」と説得するのではなく、「湿布、貼り替えたよ」「終わったらお茶にしよう」。すっと収まることが多かった。
③予定を先に言わない。「午後リハビリだからね」と朝に伝えると、それまでずっと機嫌が悪い。直前に「今から行こうか」と誘うほうが、ずっとすんなり動けた。
あれから——「リハビリ」と呼ばなければ、母は動く
この記事を書いたころの私に、教えてあげたいことがある。
あんなにリハビリを拒否した母は、今、毎日2時間散歩している。
リハビリ室では動かなかった人が、散歩なら歩く。嫌がっていた腕も、洗濯物を干すときには上がっている。干し方はぐちゃぐちゃだけれど、それでいい(認知症の母が干した洗濯物は、ぐちゃぐちゃだった——それでも直さないと決めた理由)。
たぶん、母が拒否していたのは「リハビリ」という枠のほうだったのだと思う。訓練として差し出されると、できない自分と向き合わされる。でも散歩なら、ただの散歩だ。洗濯物なら、ただの家事だ。生活の中に混ぜてしまえば、体は案外、動いてくれる。
いま拒否の真っただ中にいる方に、これが希望になればと思う。リハビリ室で動かないことと、体が動かなくなることは、同じではなかった。
リハビリを拒否する親を前に、できること
完璧にやろうとしなくていい。
- デイサービスでの入浴を少しずつ提案してみる
- できることは本人に任せ、できないことだけ手伝う
- 「タイミングが合えば」くらいの気持ちで関わる
「仮病かも」と思ってしまった自分を責めなくていい。
毎日見ている人だから、そう感じるのだ。
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