次女が小学校入学の時、緊急事態宣言があった。
いわゆるコロナ禍だ。
2ヶ月程遅れての入学式、電車での通学を考えていたが、感染を懸念し徒歩での通学を始めた。
付き添いは主に父だったが、母もほとんど付き合ってくれた。往復2時間の送迎は4年の始めまで続いた。
両親には本当に感謝している。子どもたちは、とても元気だったし、ご飯が美味しいのかむしろ太ったくらいだ。
冬は寒いし、夏は本当に暑い!過酷な送迎生活。でも、みんなが楽しそうだった。
母が病気の診断を受けた頃、送迎の伝達がうまく行かなかったりしたり、多少のトラブルが増えた。
私は、その度に父に理不尽に怒鳴られたりしたり、母が機嫌を悪くしたり、離婚で精神的にも参っていたので、耐えられないと思ったことが多かった。
次女も大きくなっていたし、そろそろ登校の自立を考えても良いかなと、学校の先生とも話していたところだったので、結果的には両親に送迎を断る形になってしまった。
揉めていた時に言った事が悪かったと思うが。それはそれは、父に激怒された。
「今までしてもらった事を、お金に換算し支払え」と言われた事が一番悲しかった。
「感謝していない」と言われた事が悲しかった。
私だって、次女が徒歩で学校に通うことは、本当は卒業まで続けたかった。
でも、両親に送迎を頼む事で母と揉めたり、私が気を使ってしまう事、の大変さが。
次女が父と登校することのハッピーさに勝てなかった。
当時は、両親が大変だし、揉め事の種(娘の送迎)を摘みたかった。と思ってた。
今思えば、ただ単に自分が辛かっただけかもしれない。
父があれほど怒ったのは、私の娘をそれほど大事に思って愛情があったからからだと思う。
たとえ、それで揉めても、続けたかった事なのかもしれない。



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