昼の2時ごろ、母がお風呂に入った。
4時ごろ、また入る。夕方の5時ごろに、もう一度入ることもある。1日に3回入る日もあるらしい。
母は、お風呂に入ったことを忘れてしまう。もう、ずいぶん前からだ。
何度も入る、いくつかのパターン
見ていると、母がお風呂に向かう流れには、いくつかの形がある。
散歩のあとに入る
お昼ごはんを食べて、犬の散歩に出かける。真夏でも、昼の1時半ごろに出ていってしまう。
夏の散歩は、日が落ちて、少しでも涼しくなってから。うちは長年、ずっとそうしてきた。犬たちがかわいそうだからだ。
それなのに、母は炎天下に出かけていく。言っても、聞かない。母の体はまだ元気だけれど、犬たちにしたら大変だ。
そして帰ってきて、お風呂に入る。汗をかいたからだと思う。
機嫌が悪くなって入る
以前は、夕方になると機嫌が悪くなった。「夜ごはんを作らなきゃ」。そう言って、お風呂に入っていく。
実際には、母がごはんを作っているわけではない。それでも、長年台所に立ってきた体が、夕方になると思い出すのだろう。私はそう思っていた。お風呂は、気持ちを切りかえる場所だったのだと思う。
でも、習慣はだんだん上書きされていく。最近は、「夜ごはんを作らなきゃ」とは言わなくなった。
「入らなきゃ」と、怒りながら入る
いちばん不思議なのは、これだ。
母は、怒りながらお風呂に入ることがある。
本当は、入りたくないのだと思う。それでも、入る。誰に言われたわけでもないのに、「入らなければならない」という何かに、背中を押されているみたいに。
そして、入ったことは忘れてしまう。夕方の5時ごろ、また「入らなきゃ」がやってくる。パターンが、1日の中で重なっていく。
夏までは、父が正論で止めようとしていた
夏ぐらいまでは、父も黙っていなかった。母がお風呂に入ろうとすると、正論で止めようとした。
いちばんもめたのは、お湯をためるかどうかだ。お湯をためれば、次の日に浴そうを洗うのは父になる。1回ならいい。でも、何度も入る母のために、それが毎日となると話はちがう。父が止めたくなる気持ちも、わかる。お風呂を洗うのが父だという話は、認知症の母に入浴してもらえないの記事にも書いた。
母は母で、言い返した。「お父さんが、お風呂に入るなと言っている」「ガス代がもったいないと言っている」。そう言いながら、水のシャワーを浴びる。嫌がらせのようなことをしていた時期もあった。
母にしてみれば、自分のお風呂を取り上げられるような気がしたのだと思う。
今は、父はもう言わない
今は、父はもう何も言わない。止めても母は変わらないと、わかったのだと思う。
それでも、ふとした会話でつまずく。
私が「下着、変えたかな」と聞く。父が「さっきも入ったからな」と答える。私はつい「そうなんだ〜」と返してしまう。
すると、母の強い声が飛んでくる。「そんなことはない」
「まあ、何回入ってもいいじゃない」。そうとりなしても、それが地雷になる日もある。
何回入ってもいい、は、何回も入ったと認めることになる。母にとっては、そこが引っかかるのかもしれない。
パジャマを、差し出す
2度目のお風呂から上がるころ、母はもう疲れきっている。
下着を着る。頭を洗う。顔を洗う。一つひとつが、母には重たい仕事だ。そのうえ、パジャマがどこにあるのかも、自分では見つけられない。
だから、私がいるときは、パジャマを手渡すようにしている。
選ぶのは、誰が見ても「パジャマ」だとわかるもの。迷わせないためだ。
差し出すと、母は何も考えなくていい。すっと手を伸ばしてくる。
パジャマを着ていれば、「もうお風呂に入った」と母自身にもわかるのではないか。そんな期待もある。
ただ、昼の2時からパジャマ、というわけにはいかない。それに最近は、どれがパジャマなのか、母にはわからなくなってきている時もある。ここは、まだ答えが出ていない。
着替えも、ひと声で支えてもらえれば、母は自分でできる。そのことは認知症の母がタンスの服を全部出してしまうに書いた。
足もとだけは、片付けてある
母は70代。コロナのころから、毎日2時間くらい散歩を続けている。足腰は丈夫だ。だから正直、お風呂の安全のことは、そこまで考えていなかった。
ただ、母はこれまでに2回、骨折している(お風呂場ではないけれど)。骨粗しょう症もあるらしい。骨折したときのことは、認知症の母が骨折した。介護が一段階重くなった日に書いた。
だから、母が歩くところに物を置かないようにして、実家の足もとはきれいに片付けてある。何度お風呂に入っても、行き帰りでつまずかないように。
調べてわかったこと——答え合わせ
入ったことを、覚えていられない
健康長寿ネット(公益財団法人 長寿科学振興財団)には、認知症の記憶障害について、こう書かれていた。「新しいことを覚えられなくなり、さっき聞いたこと、したことを記憶することが難しくなります」。
お風呂に入ったことも、「さっきしたこと」だ。母の中には、残らない。残っているのは、「入らなきゃ」という気持ちのほうなのかもしれない。
お風呂は「段取り」のかたまり
同じページには、「実行機能障害」についても書かれていた。「物事を行う時に計画を立て、順序立てて効率良く行うことが難しくなります」。
お風呂は、服を脱ぐ、体と頭を洗う、拭く、下着を着る、パジャマを着る、の連続だ。一つひとつはできても、それを順番につなげるのは、母にとって大仕事なのだと思う。2度目のお風呂で疲れきってしまうのも、無理はない。
(出典:健康長寿ネット「認知症の中核症状」)
差し出すのは、甘やかしなのか
ときどき、自分のしていることに迷う。
差し出すのは、手を貸しすぎなのかもしれない。自分で選んで、自分で着る。そのほうが、母のためになるんじゃないか。子どもに着替えを教えるみたいに、少しずつ、次はこれができるように、と。
父は、やらせないとできなくなる、と心配しているように思う。家事のことでも、父は「やらせないとボケる」と言っていた(認知症の母に、家事をやらせたほうがいいの?)。
でも、母を見ていると、ちがう気がしてくる。
子どもは、できることが増えていく。母は、できていたことが少しずつ減っていく。同じ「練習」でも、母にとっては、できない自分を何度も確かめることになる。それは、つらい。
服を着ることに、一生懸命にならなくていい。そこは手伝ってしまえばいい。そのかわり、母の心が動く時間を増やしたい。母が興味を持つことに、感動したり、悲しんだり。そうやって気持ちが揺さぶられるほうが、母は元気でいられるんじゃないか。
この迷いについても、調べてみた。
国の研究班がまとめた認知症の指針には、どんな方法であっても、本人の意思や好みを尊重することが優先される、と書かれていた。そして、本人ができていないことを人から指摘されたり指導されたりすることは、本人にとって心理的な負担が大きい、とも。同じ指針で効果が認められていたのは、運動や、音楽療法、思い出を語る回想療法などだった。
米国のアルツハイマー病協会は、着替えの手伝い方として、着る順番に衣服を並べ、一度に一種類ずつ手渡すことをすすめている。
差し出すのは、甘やかしではなかったのだと思う。
ただ、全部を手伝えばいい、というわけでもない。母は前に「サポートしてもらえれば、自分でできるのよ」と言った。疲れきっている2度目のお風呂のあとは、差し出す。元気なときは、並べて、ひと声かける。その日の母を見て、変えていけばいいのだと思う。
(出典:日本医療研究開発機構(AMED)研究班「認知症に対する非薬物療法指針」2024年、Alzheimer’s Association「着衣」日本語版)
何度入っても、いいことにする
何度入っても、母が気持ちよく出てこられれば、それでいい。今は、そう思うことにしている。
「さっき入ったよ」とは言わない。パジャマを差し出す。うちにできるのは、今のところ、それくらいだ。
📋 お風呂のこと、家族だけで抱えなくていい
入浴の見守りや身の回りの手伝いは、介護保険の範囲だけでは足りないこともあります。介護保険外のサービスなら、家族の都合に合わせて頼めることがあります。
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