「今日は何時集合?」
ある日、認知症の母が、知人にそんなLINEを送っていた。約束なんて、なかったのに。
そこから始まった小さな騒動と、わが家がたどり着いた「見えなくする工夫」の話を書いておきたい。同じことで困っている家族が、きっといると思うから。
存在しない飲み会が、生まれた日
発端は、古いLINEのやり取りだった。
去年、母の知人に不幸があり、しばらくして皆で食事に行ったことがあった。そのときのやり取りが、母のLINEに残っていた。母はある日それを見返して、メッセージを送った。相手からは「またランチでもしましょうか」という、社交辞令まじりの短い返事。
ここまでなら、よくある話だ。でも母の中では、この返事が「今夜、飲み会がある」に育っていた。
母は別の知人に「今日は何時集合?」とLINEを送った。当然、相手は驚いて電話をかけてくる。その電話のそばで、母本人は「行きたくない。断る」と言っている。約束は存在しないのに、断りたい飲み会だけが母の中に存在している。
結局、私が電話を代わって「母は体調が悪いので」と、あるはずのない約束をお断りした。相手は何のことか分からなかったと思う。母がそばで聞いているから、話を合わせるしかない。綱渡りのような電話だった。
犯人は、記憶ではなく「履歴」だった
落ち着いてから、気がついた。
LINEは、会話が全部「見える化」されて残る。通話の履歴も残る。それ自体は便利な機能だ。でも認知症の母にとっては、これが混乱のもとになっていた。
古いやり取りには、「これは昔のことですよ」というラベルが貼っていない。
日付は表示されている。でも母は、日付と今日の距離感をつかむことが難しくなっている。だから履歴を見返すたびに、1月の「あけましておめでとう」が今日の挨拶になり、去年の会食の相談が今夜の約束になる。
実際、母は1月に届いた新年の挨拶に、5月ごろ「おめでとう。ご飯食べに行きましょう」と返信していた。相手がどう思ったかを考えると、胸がきゅっとなる。でも母の中では、たぶん筋が通っていたのだ。
それでも、LINEを取り上げたくなかった
「認知症になったらスマホは解約」という話を、ときどき見かける。でも、私はそうしたくなかった。
だって、母はまだLINEが使えるのだ。文字を打って、送って、返事を読む。それは母に残っている力で、家族とつながる大切な線でもある。孫からのメッセージに返事をする母を見ていると、これを取り上げるのは違う、と思う。
問題は、LINEそのものじゃない。「誰とのやり取りが残っているか」だった。
- 家族とのLINE → 見返しても混乱しない。むしろ安心の材料。残す
- たまにしか会わない知人とのLINE → 古いやり取りが「今」になって、ありもしなかった約束が生まれる。ここが危ない
全部消すか、全部残すかの二択じゃなくて、線を引く。それがわが家の答えだった。
「消しておこうか」——本人と一緒に消す
ある日、家族が集まっているタイミングで、思い切って母に言ってみた。
「このメッセージ、古いやつだから、消しておこうか」
母は「そうね」と言った。それで、知人とのやり取りの履歴を消した。勝手にではなく、本人の「そうね」をもらってから。家族が何人かいる場だったのも、良かったのだと思う。
これで、去年の出来事が「最近のこと」として何度もよみがえることは、なくなった。
ひとつ、大事にした判断の軸がある。母は元気だった頃から、その人たちと出かけることをあまり好んでいなかったということ。もし母が本当に楽しみにしている相手とのやり取りだったら、消すのは「楽しみを取り上げること」になる。でもそうじゃなかった。だからこの削除は、取り上げるためじゃなく、母が望んでいない予定が生まれ続けるのを止めるため——母の本音を守るための片づけだった。
それでも起きる日のための「綱渡りの会話術」
履歴を消しても、混乱がゼロになるわけじゃない。電話の履歴から「かけ直さなきゃ」が生まれる日もあるし、私の知らないやり取りが動き出す日もあると思う。
そういうとき、私がやっているのは——
- 母のスマホの日付を手がかりに、何が起きたか推理する(いつのやり取りを「今」だと思っているのか)
- 訂正はしない。「そうなんだ」と一度受け取る
- 話を合わせながら、着地点を探す。「今日は疲れてるから、また今度にしよっか」「私から連絡しておくね」で、ボールを預かる
正直、難しい。毎回うまくいくわけでもない。でも「事実の訂正で勝とうとしない」と決めてからは、揉める回数は確実に減った。
「見えなくする」は、片づけの介護
介護には「見える化」が効く場面がたくさんある。着る順番に服を重ねて置くとか、やることを紙に書いて貼るとか。
でも逆に、「見えなくする」ことが優しさになる場面もあるのだと、今回のことで知った。
- 古いLINEのやり取り(→本人と一緒に整理)
- 過ぎた予定が書いてあるカレンダー(→めくっておく・外しておく)
- 年賀状や喪中はがきの束(→しまっておく)
残っている過去が、本人を混乱させて、ありもしない予定や悲しみを生むのなら——そっと片づけるのも、立派なケアなんだと思う。
それでも家族だけでは限界な日は
こうした細やかな対応を、家族だけで毎日続けるのは、正直しんどい。電話の後始末も、綱渡りの会話も、積み重なると疲れがたまる。
介護保険外で、話し相手や見守りをお願いできるサービスもある。家族以外の「話し相手」がいると、本人の電話やLINEが家族に集中しすぎるのを、少しやわらげてくれることもある。
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