認知症の母が泣くようになった——「泣かないで」とは言わない。涙のときの、わが家の聞き方

前は、あっという間にできたのに——認知症の母が泣くようになった 介護の知識

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実家に寄ると、父と母が布団にカバーをつけていた。

母は涙目で言った。

「うまくつけられない。前は、あっという間につけられたのに」

前はすぐにできた。そのことを、母は覚えている。覚えているから、泣くのだと思う。

私は手伝いに行こうとして、やめた。カバーは父にひとりでやってもらって、私は母のそばにいることにした。

母は最近、怒るより、泣くことが増えた。

泣いているとき、私は「泣かないで」とは言わない。

この記事では、母が泣いた日のことと、そのとき私が言うこと・言わないことを書く。

怒っていた母が、泣くようになった

母が認知症になってから、長いあいだ、家の中には怒りがあった。とくに、父に向かう怒りだ(認知症の母が急に怒る——わが家で見つけた「3つの引き金」と、効いた対応)。

主治医を変えて、母の薬が変わった(認知症の親の主治医を変えた話)。それから、少しずつ変わったことがある。

前なら、悲しい話は、父への恨み言になっていた。それが今は、恨み言にならずに、悲しいまま出てくる。

怒るより、泣くことが増えた。私はそう感じている。

母が泣いた日のこと

「お母さんに会いたい」

夏のある日、母が「田舎のおばあちゃんはどこだろう?」と言った。亡くなった、母の母のことだ。

父は「亡くなったよ。お母さんの心の中にいるでしょ」と答えた。

「そうなんだけど……お葬式行ったのかしら。覚えていない。お母さんに会いたい。お母さんとずっと離れているから」

父が「そうだね。お父さんといる方が長いものね」と言うと、母は「16の頃から、離れてる」と言って、泣いた。

私はいたたまれなくなって、違う話をした。

亡くなった祖母がソファにいる、と母が言う話は、認知症の母が「亡くなった祖母がソファにいる」と言うに書いた。

「お父さんにうるさく言われるのが辛い」

私から電話をした日。母は機嫌が悪かった。お風呂にお湯を入れようとしたら、父に何か言われたらしい。

「お父さんにうるさく言われるのが辛い」

そう言って、母は涙声になった。

父にも言い分はある。お湯を張っても、結局入らずにシャワーだけの日があった(認知症の母が、お風呂に何度も入る)。

その夜、家族で話して、「誰も悪くない。仕方ないことだ」ということになった。

「もう嫌だ」

娘と母と三人で、服を買いに行った日。

娘の試着を待つあいだ、お店の人がほかのお客さんに「いらっしゃいませ」と言うたびに、母は自分に言われたと思った。「お金払わなきゃ」。

「大丈夫だよ」と言っても聞かない。お店の人に向かって「もう、ちょっと待ってて」と言ってしまう。

「お母さんに言ってるわけじゃないから大丈夫だよ」と言うと、母は「もう嫌だ」と、泣きそうな顔になった。

母との買い物のことは、認知症の母と買い物に行くということに書いた。

「生きるのがめんどくさい」

お風呂上がりの母に呼ばれて行くと、ズボンも上着も後ろ前だった(認知症の母が、服を後ろ前に着る)。

直すのを手伝っていると、母が言った。

「体を動かすのがしんどい。でも自分でやれなきゃね」

「えらいね!」と言いながら手伝うと、母は少し涙声になった。

「生きるのがめんどくさい」

「それでも生きなきゃだよね」と、私は返した。

着替えが終わると、母は髪を乾かして、父と普通に喋って、テレビを見ていた。

通帳を見つけた日

洋服を入れ替えていて、母がしまい込んでいた通帳を見つけた。渡したら、母は泣いてしまった。

通帳のことは、認知症の母の通帳を、家族が管理するまでに書いている。

泣くのは、わかっているからだと思う

布団カバーの日の「前は、あっという間につけられたのに」。できなくなったことを、母はわかっている。

わかっているから、悲しい。その悲しさが、今は怒りにならずに、涙のまま出てくるのかもしれない。

父と大きくもめた日もあった。落ち着いてから、母は「傷ついたのよ」と言った。怒っているように見えたときも、奥にあったのは、こういう気持ちだったのかもしれない。

泣いているとき、私が言うこと・言わないこと

母が泣いているとき、「そんなことないよ」とは言う。でも、「泣かないで」とは言わない。涙を流すことも、大事だと思うから。

「生きるのがめんどくさい」「死にたい」と言われたときは、「それでも生きなきゃいけないよね」と返す。「死のうと思ったって、死ねないし」とも言う。

心の中では、生きたくても生きられない人もいるのに、と思っている。でも、それは母には言わない。

肯定も否定もしない。母の話を、味方として聞くようにしている。

父と大きくもめた日も、私と弟は反論せずに、母の話を聞いた。違う話も織り込みながら。母が「傷ついたのよ」と言うと、弟が「乙女か?」と笑って、場がほどけた。

誰も悪くない、と思う

父は、母がこうなるまで、家事をほとんどしてこなかった。だから母には、今少しやったくらいで、という気持ちがあるのだと思う。父が何をしても、「ありがとう」という空気にはならない。

父も人間だから、ムッとすることもあるだろう。それでも最近は、父もこの病気に慣れてきて、前ほど嫌な空気にはならない。

父の言い方は、正直、上手とは言えない。

「服が反対だ」「お風呂にはお湯を張ろうね」。

父は、本当のことを言っているだけだ。でも母には、できていないところを指摘されたように聞こえるのだと思う。母は嫌な思いをして、強く言い返してしまう。

自分のマスクを「このマスク誰の?」と聞いた母に、父が「あっちにもこっちにもお母さんのがあるよ」と言った日。母は、父を怖い顔でにらみつけた。

反対に、うまくいった日もある。冷凍ご飯がたくさんあるのに、母がまたお米を炊いてしまった。父が遠慮がちにそれを言うと、母は、ちょっと間があって、流した。

同じことでも、言い方ひとつで変わる。父も、それを少しずつ覚えてきたのかもしれない。

でも、70代の父に、今さら変わってとは言えない。やったことのない家事をして、母の世話をして、頑張っていると思う。

本当は、お風呂は何回入ってもいいし、お湯も何回入れ替えてもいい、と思うこともある。でも、父には言えない。

だから、仕方ない。誰も悪くない。

調べてわかったこと——答え合わせ

母の涙と、悪口ばかりになったことが気になって、調べてみた。

ブレーキがきかなくなり、いちばん近い人に強く出る

国立長寿医療研究センターの「もの忘れと認知症」では、認知症で出てくる症状のひとつとして、こう書かれている。

社会的認知・判断の障害:他人に共感したり、同情したりすることができない、抑制がきかない、万引きなど社会規範から外れた行動を悪気なくしてしまう

(出典:国立長寿医療研究センター「もの忘れと認知症」)

認知症の人と家族の会の杉山孝博医師は、身近な人ほど症状が強く出ることについて、こう書いている。

認知症の人は介護者に嫌がらせしているのではなく、子供が最も信頼している母親に甘えて困らせるように介護者を絶対的に信頼しているから認知症の症状を強く出すと考えるべきだと。

(出典:認知症の人と家族の会「身近な人に強く出る症状-それは信頼されている証拠」)

母の矛先が、いつも父に向かうこと。それは、父をいちばん頼っているからなのかもしれない。

気持ちは、長く残る

国立長寿医療研究センターの「認知症の方と関わるとき~大切な7つのポイント~」には、こうある。

認知症が進行して言葉で思いを伝えることが難しくなっても、うれしい、楽しいなどの「感情そのもの」は比較的長く保たれるといわれています。

「また忘れたの?」「さっき言ったでしょ」といった言葉は、知らず知らずのうちにご本人の心を傷つけてしまうことがあります。

(出典:国立長寿医療研究センター「認知症の方と関わるとき~大切な7つのポイント~」)

認知症と、うつ

健康長寿ネットの「認知症とうつ」には、こう書かれていた。

要するに認知症とうつ病は合併することが珍しくないのです

認知症とうつ病は区別が難しいことがあるので、迷ったら認知症を専門とする医療機関を受診しましょう。

(出典:健康長寿ネット「認知症とうつ」)

「生きるのがめんどくさい」という母の言葉は、受診のためのメモに残している(医者に渡す「一枚」を作った)。

ただ、嬉しいことだけが消えて、悲しいことが残る理由は、どこにも見つからなかった。

笑ったことは、どこに行っちゃったんだろう

感情が残るなら、どうして嬉しいことは出てこないんだろう。

母の人生には、嬉しいことがいっぱいあったと思う。苦労もたくさんしてきた。でも、同じくらい、嬉しいこともあったはずだ。

私はずっと、母のそばにいた。母は、孫の成長をそばで見てきた。私は母を慕っていたし、お互いに助け合って、頼り合って暮らしてきた。

母は、よく笑う人だった。大声で笑う人だった。今は、笑わない。

いっぱい楽しいことをして、いっぱい笑ったことは、どこに行っちゃったんだろう。

「本性が出る」という言葉を思い出すと、母の人生は不満だらけだったのかと、思ってしまいそうになる(「認知症になると本性が出る」と言われて)。

でも、母は自分で、こう言っていた。

「お母さんの人生、わりとうまくいってたのに、ここのところダメね」

ダメになったのは、「ここのところ」だ。母自身が、そう区切っている。

それに、嬉しいことは、話には出てこなくても、ふるまいには残っている日がある。

「家でゆっくりしなさい」と、私を気づかってくれた日。

帰りぎわに「お米を持って帰りなさい」と言って、「欲しい?」とお茶目に聞いてきた日(「認知症の母を施設に入れたい」と思った日)。

荒れた夕方の帰りぎわに、1000円を差し出してくれた日(「財布はどこ?」で荒れた夕方、帰り際に母が差し出した1000円)。

答えは、まだわからない。それでも、あの日の母は、ちゃんと私の母だった。

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