「お母さんのそばを離れてはいけない」——祖母に言われ続けた言葉と、私の人生

母のこと

「お母さんのそばを離れてはいけない」

物心ついた頃から、祖母にそう言われ続けた。何度も、何度も。

小さい頃は、そういうものだと思っていた。長女だし、女の子だし、お母さんを助けるのは当たり前だと。心から、そう思っていた。

7人同居が始まった小学3年生の春

私が小学3年生のとき、父方の祖父母が関西から東京に引っ越してきた。事情があっての同居だった。お風呂もキッチンも共有、トイレは一つ。7人での生活が始まった。

母はもともと明るくてサバサバした人だ。同居をそれほど苦に思わず受け入れたと思う。でも、やはり思うようにはいかなかった。仕事も始めた。毎日忙しかった。

実の母(私の祖母)には心配をかけたくないから、愚痴も言えなかったようだ。

そこに気づいた祖母が、私に言い続けた。「お母さんの話を聞いてあげなきゃいけない」「味方になってあげなきゃいけない」「女の子なんだから、手伝いなさい」と。

大好きなお母さんの機嫌が良くなるなら、いい子でいたかった。だから素直に、そうすべきだと思っていた。

「東京を離れる」という選択肢が、ありえなかった

進学のとき、就職のとき、好きな人を作るとき。東京を離れる選択肢は、最初から「ありえない」ことだった。悩んだわけじゃない。そもそも選択肢に入っていなかった。

結婚相手を選ぶときも、「東京を離れなくていい人」と思っていた。無意識に。離婚してしまったけど(笑)。

それが祖母の言葉のせいなのか、自分の気持ちだったのか、今もはっきりわからない。でも「ありえない」と思っていたのは事実だ。

カウンセリングで言われたこと

以前、夫婦関係に悩んでいた時期にカウンセリングを受けたことがある。夫との関係を話しているのに、カウンセラーは言った。「お母さんとの関係を深掘りしていった方がいいと思います」と。

その時はよくわからなかった。でも今なら少しわかる気がする。

祖母は、寂しかったのかもしれない

祖母は遠くに住んでいた。飛行機に乗らないと会いに行けない距離だ。

「お母さんのそばを離れてはいけない」と言い続けた祖母自身が、娘(私の母)のそばにいられなかった。

子どもの頃は、母のことを思って言ってくれているんだと思っていた。でも成人してから気づいた。祖母は、寂しかったのかもしれない、と。どちらも正解だと思う。母のことを思いながら、自分の寂しさもあった。

母は認知症になってから、繰り返し言う。「祖母と一緒に暮らしたかった」と。涙を流しながら。その言葉を聞くたびに、いろいろなことを思う。

娘たちは、カーネーション一本渡そうとしない

私は自分の選択に責任があると思っている。後悔もある。

だから娘たちを縛りたくない。のびのびと、自由に生きてほしいと思って育ててきた。

その結果、母の日も誕生日も、カーネーション一本渡そうとしない娘たちになった(笑)。朝「いつもありがとう」と言ってくれるくらいだ。

気を使いすぎの子どもだった私とは、正反対かもしれない。でも、それでいいと思っている。

▶ 介護に関するサービスや施設について、もっと知りたい方へ

24時間365日対応の介護保険外のオーダーメイド介護サービス【イチロウ】

📖 あわせて読みたい

コメント

タイトルとURLをコピーしました