「自分の化粧品は、家計のお金で買ったことなんて一度もない。一度たりとも」
母が何度もそう言う。お風呂はお湯を張ると勿体ないからシャワーだけ。食器を洗うときもお湯は使わない。「お父さんが使わせてくれない」と。
実際は違う。でも母の中では、そうなっている。
なぜそこまでお金にこだわるのか。認知症だから、と片付けることもできる。でも私は知っている。これはもっと古い話だ。
母が7歳のとき、祖父が消えた
炭鉱の労働者を取りまとめる仕事をしていた祖父は、給料を家に入れるとき、少なく見積もって祖母に渡していた。残りは自分の小遣いとして内緒にとっていた。祖母はそれを「二重取り」と呼んでいた。母はその言葉を、何十年も後に私に伝えた。
そのお金を持って、祖父は飲み屋の女性と出ていった。借金だけ残して。
残された祖母の話
残された祖母と子どもたちの生活は、苦しかった。
祖母は炭鉱で男の人に混じって働いた。街の自治会長のような人が助けてくれた。その人の勧めで生活保護を受けた。魚屋でも働いた。収入は一円単位で申告しながら。
それでも祖母は、子どもたちをお腹いっぱい食べさせた。魚屋からもらった残り物、ご飯を煎ってお砂糖を混ぜたおやつ。母は「お腹を空かしたことはなかった」と言っていた。
母の修学旅行のとき、先に就職していた姉が上から下まで新しい服を送ってくれた。「本当に嬉しかった、姉には感謝している」と、何万回聞いたかわからないくらい話してくれた。
中学を卒業すると、母は集団就職した。そして祖母が亡くなるまで、ずっと仕送りをし続けた。結婚してからも、ずっと。
祖母が亡くなったとき、貯金がかなりの額残っていた。母は言った。「仕送り、使ってなかったのね」と。
捨てた側ではなく、捨てられた側が弔った
その祖父は、後に見つかった。
ガンで亡くなるとき、連絡が来た。財産は何も残っていなかった。兄が先に亡くなっていたこともあり、残った兄弟3人でお金を出し合って葬式をして、お墓を買った。捨てた側ではなく、捨てられた側が弔った。そのお墓に、祖父も入れた。
母は今も言う。3人でお金を出し合ったのに、兄のお嫁さんから感謝の言葉ひとつない、と。永代供養はどうなっているのか、と。認知症になっても、その記憶だけは消えない。
父と祖父が重なる
母が父のことを「お金に汚い」と言うのも、今はわかる気がする。
7歳のときから、お金は「突然なくなるもの」だった。信頼していた人間が、こっそり抜いていくものだった。父が財布を管理していることが、祖父と重なるのかもしれない。
脳のブレーキが壊れて、一番古い恐怖がそのまま出てくる。それが今の母だ。
この話を知っているのは、家族の中で私だけだ。弟でさえ、お墓参りから帰ってきて「母の話と違う」と首をかしげていた。長年母の話を聞き続けてきたのが私だったから、知っている。そしてそれが、母が私に一番強く当たる理由のひとつかもしれない。知っている人間が、一番怖いのだと思う。
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