「家族信託」という言葉に出会ったのは、成年後見制度を調べて、やめたときだった。
(→ 成年後見制度を調べて、やめた。——母のお金は、母のものだから)
制度の説明を読みながら、「これなら、うちに合っていたかもしれない」と思った。本人のお金を、家庭裁判所でも専門家でもなく、家族が管理できる。使い道も、家族で決められる。母の「私のお金は私のもの」という気持ちを、いちばん壊さずにすむ形に見えた。
でも、読み進めるうちに、ある一文で手が止まった。
家族信託は「契約」なので、本人に判断能力があるうちにしか結べない。
母は、もう自分の名前が書けなくなっていた。
うちには、選べない選択肢だった。だからこの記事は、「使ってよかった」という体験談ではない。間に合わなかった側から、まだ間に合う人へ書いている。
家族信託ってなに?——ざっくり言うと
家族信託とは、親が元気なうちに、信頼できる家族(多くは子ども)にお金や不動産の管理を託しておく契約のこと。
イメージとしては、親のお金を「家族の管理箱」にあらかじめ移しておく感じだ。箱の中身はあくまで親のもので、親のために使う。でも箱のカギは子どもが持っているから、親が認知症になって銀行の手続きができなくなっても、介護費用や施設の費用を、子どもが箱から出して払える。
ポイントは、「誰のために」「何に使うか」を、元気なうちに親自身が決めておけること。裁判所でも他人でもなく、親が選んだ家族が、親が決めたルールで管理する。ここが、成年後見との一番の違いだと思う。
家族信託でできること
- 口座凍結の影響を受けにくい。信託したお金は専用の口座で子どもが管理するので、親の口座が凍結されても介護費用の支払いが止まらない
- 施設の入居一時金など、大きなお金を動かす場面でも、家族が対応できる
- 自宅などの不動産も信託の対象にできる(将来、施設に入って空き家になったときに売却する、なども契約に入れられる)
- 遺言のように、亡くなった後のお金の行き先まで決めておくこともできる
口座凍結が実際にどんな問題を起こすかは、こちらの記事に詳しく書いた。(→ 認知症になると親の口座が凍結される——知らないと後悔する、今すぐできる3つの備え)
費用とデメリット——いいことばかりではない
正直に書く。家族信託は、安くない。
費用は財産の内容や専門家によって幅があるが、契約書の作成や公正証書、不動産があれば登記も必要で、初期費用の目安は数十万円と言われることが多い。財産額の1%前後を目安にする事務所もある。決して気軽な金額ではない。
デメリットも書いておく。
- 身の回りの契約はカバーできない。家族信託はあくまで「お金と財産」の仕組み。施設の入所契約や医療の同意といった「本人の身の回りのこと」は対象外だ
- 家族の信頼関係が前提。託された子どもには責任と手間がかかるし、きょうだいがいる場合は、事前に全員で話しておかないと後々もめる種になる
- 対応できる専門家がまだ多くない。比較的新しい仕組みなので、慣れた専門家を探すこと自体が最初のハードルになる
それでも、月々の報酬が本人が亡くなるまで続く成年後見と比べると、初期費用だけで済む場合が多いのは大きな違いだと思う。
成年後見とのちがいは?
ざっくり言うと、成年後見は「判断能力が下がった後に、裁判所の監督のもとで本人を守る制度」。家族信託は「元気なうちに、家族で備えておく契約」。
どちらが良い悪いではなく、タイミングと家族の状況で決まる。詳しい比較表は、成年後見をやめた経緯と一緒にこちらの記事にまとめている。
(→ 成年後見制度を調べて、やめた。——母のお金は、母のものだから)
一番伝えたいこと:「元気なうち」にしか、できない
ここまで読んで、「うちはまだいいかな」と思った方にこそ、伝えたい。
家族信託は契約だ。契約には、内容を理解して「はい、お願いします」と言える判断能力が必要になる。認知症と診断されたら即アウト、というわけではないらしい。軽度なら結べる場合もあると聞く。ただそれは、専門家が本人と話してみないとわからない。
うちの場合、私が家族信託を知ったとき、母はもう名前が書けなかった。「私のお金は私のもの」という気持ちは、はっきりあるのに。その気持ちを活かせる仕組みが目の前にあるのに、入り口の扉はもう閉まっていた。
「まだ大丈夫」と「もう遅い」の間は、思っているよりずっと狭い。
それともうひとつ。介護がはじまってから気づいたことがある。
家族がお金の管理を引き受けると、本人には「盗られた」と映ることがある。うちでは、通帳を預かった父が、母の怒りをまともに受け続けた。母は若く、力もある。攻撃性が強まっている時期のお金の話は、本当に難しい。
もし元気なうちに、母自身が納得して決めた取り決めがあったなら。父は自分の判断で通帳を持つのではなく、「あのとき一緒に決めたことだから」と言えたはずだ。管理する家族を、悪者にしない。それも、早く備えることの意味だと思う。
親のお金の話は、切り出しにくい。縁起でもない、と怒られるかもしれない。でも、「元気なうちにしかできない備えがあるんだって」という一言は、親を疑う話ではなく、親の意思を残すための話だ。
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よくある質問(家族信託)
Q. 認知症と診断されたら、もう家族信託は結べませんか?
A. 診断名だけで決まるわけではなく、「契約の内容を理解できるか」で判断されます。軽度であれば結べる場合もあるので、あきらめる前に専門家に相談してみてください。
Q. 家族信託にすると、親のお金は子どものものになるのですか?
A. なりません。管理を任されるだけで、お金はあくまで親のもの・親のために使うものです。使い道は契約で決めておきます。
Q. 費用はどのくらいかかりますか?
A. 財産の内容によって幅がありますが、初期費用の目安として数十万円かかることが多いようです。成年後見のような毎月の報酬は基本的にありません。
Q. まず何から始めればいいですか?
A. いきなり契約ではなく、無料相談で「うちの場合はどうか」を聞くところからで大丈夫です。家族信託が合わない家庭には、別の方法(任意後見や銀行の代理人手続きなど)を勧められることもあります。
※この記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の法律・財産相談ではありません。実際の手続きは専門家にご相談ください。
最後に
母のお金は、母のものだ。
その当たり前を、認知症になった後も守り続けるのは、思っていたよりずっと難しい。うちは成年後見をやめて、遺言書と口座の整理という道を選んだ。家族信託という扉には、間に合わなかった。
もしあなたの親御さんが、まだ自分の名前を書けるなら。まだ「うちの親は大丈夫」と思えているなら。それは、選択肢が全部残っている、いちばん贅沢な時期だ。
その時期は、静かに終わる。うちがそうだったように。
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