認知症の始まりは、父が食器を洗いはじめた頃だった

父が食器を洗いはじめた。分担だと思っていた。 介護の知識

父は、家事を一切しない人だった。

洗濯も、料理も、掃除も、ぜんぶ母の仕事だった。私が子どもの頃からずっとそうで、それがこの家の当たり前だった。

その父が、今は全部やっている。

いつからだったのか。振り返ってみると、始まりは父が夕飯の食器を洗うようになった頃だったと思う。あのときは誰も、それが病気の始まりだとは思っていなかった。

母が、怒りっぽくなっていった

最初に変わったのは、母の怒りだった。

同じことを何度も言う。納得がいかないと怒る。しつこい。——そういう感じだった。

母はワインが好きで、毎晩飲んでいた。飲むと、それが目立った。父によく怒っていて、それが喧嘩みたいになる夜が増えた。飲まなきゃいいのに、と何度も思った。

ワインは、父が長野のワインセラーで一升瓶を箱で買ってきていた。母のために買ってくるのだ。飲む量も、父より母のほうが多かった。

そういえば、買ったばかりの車の中で、母が酔って吐いてしまったことがある。真夜中に、母と二人でこっそり洗った。「内緒ね」と笑いながら。あのとき母の酔いは、すっかり冷めていた。

困ったことも、まだ笑い話にできた頃だった。

でも、笑えないことのほうが、だんだん増えていった。

ある日、母が怒りながら、そのワインを流しに流した。父のために買ったものではない。母のために、父が買ってきたものだ。父は、とても怒った。

あの頃の私たちには、それは「お酒のせい」に見えていた。

片付けだけは、必ずする人だった

でも今思うと、もっと早くに、別のサインが出ていた。

母は、どんなに飲んでも、必ず自分でキッチンを片付ける人だった。酔っていても、そこだけはきちんとやる。そういう人だった。

その母が、だんだん片付けなくなっていった。

父が、食器を洗いはじめた

そうして食器が残るようになって、父が夕飯の食器を洗うようになった。

たぶん父は、こう思ったのだと思う。——母はもう家事をしたくないんだな。これからは分担したいと考えているんだな。

だから父は、自分から洗いはじめた。責めるでもなく、話し合うでもなく、静かに引き受けた。そのうち、掃除機もかけるようになった。

病気だとは、誰も思っていなかった。母の希望に合わせているのだと、父は思っていた。

おかずが、一品になった

同じ頃、夕飯のおかずが一品だけの日が増えた。

変だな、と思った。母は品数を並べる人だったから。でもそのときは、「疲れているのかな」で終わってしまった。

今なら分かる。あれは、手順を組み立てることが難しくなり始めていたサインだった。料理は、いくつものことを同時に進める作業だ。切って、火にかけて、味を見て、別の鍋も気にして——その並行作業が、いちばん早く崩れる。

「お父さんがやってるね」と言って、キレられた日

一時期、私が実家に戻って過ごしていたことがある。

そこで初めて、父が思った以上に家事をしていることを知って、驚いた。想像していたより、ずっと多くのことを父がやっていた。

それで私は、悪気なく言ってしまった。

「お母さん、前よりしなくなったよね。お父さんがやってるね」

母は、キレた。

私はもっと前向きな話ができると思っていた。「そうなのよ、助かってるの」とか、そういう会話になると思っていた。あんなふうに怒られるとは思わなかった。

そのとき、私はもう一度思った。やはり、変だ。

今なら分かる。全部、つながっていた

認知症は、もの忘れから始まるとは限らないと言われている。

初期に、怒りっぽさとして出ることがある。段取りの必要な家事が崩れることがある。そして、できなくなっていることを指摘されると、強く怒ることがある

最後のこれは、意地悪でも性格でもない。本人がいちばん不安だからだと言われている。うまくできない感覚は、本人がいちばん先に気づいている。それを外から言葉にされるのが、怖い。

あのとき母がキレたのは、私の一言が図星だったからだと思う。母は、自分が前ほどできていないことを、たぶん分かっていた。

怒りの引き金がどこにあるのかは、あとになってようやく見えてきた(認知症の母が急に怒る——わが家で見つけた「3つの引き金」と、効いた対応)。

父は、弱音を言わない

父は、弱音を言う人ではない。今も「疲れた」「しんどい」とは言わない。

ただ、以前はよく地雷を踏んでいた。

母が、父のやったことを自分がやったかのように話すことがある。そういうとき、父はつい「それは俺がやった」とポロッと言ってしまう。そして、母が怒る。

最近は、父も学習した。黙っている。

私も、黙るようになった。

「お父さんがやるから」と「お母さんが後でやるから」

ただ、母の中で時間が完全に止まっているのかというと、そうでもないらしい。

つい先日も、私が洗濯物を畳もうとしたら、母が言った。

「しなくていいわよ。お父さんがやるから」

——分かっている。父がやってくれていることを、ちゃんと分かっている日もある。

でも同じ日に、こうも言う。

「お母さんが後でやるから」

車の中では「ご飯の支度をしなきゃ。お父さんはやらないから」と何度も繰り返す。実際に作っているのは、父なのに。

どれが本当なのか、と考えるのはやめた。たぶん、どれも母の本当なのだと思う。同じ話が繰り返されるのにも、理由がある(認知症の親が何度も同じ話をするのはなぜ?——「財布がない」の裏にある仕組み)。

あんなに、きれいに畳む人だった

そして母が畳むと、今までのようには畳めない。

昔の母は、驚くほど速かった。角をぴったり合わせて、きれいに畳んで、誰の物かの分類まであっという間に終わらせる人だった。

今は、形が崩れる。しかも、途中でやめてしまう。

あんなにできた人が、と思う。この気持ちには、まだ慣れない。干し方が変わっていったのも、同じ流れの中にあった(認知症の母が干した洗濯物は、ぐちゃぐちゃだった——それでも直さないと決めた理由)。

それでも、畳める時に畳む

母が「しなくていいわよ」と言っても、私はできる時にやりたいと思っている。大した量でもないし、私が畳んだところで何かが変わるわけでもない。

でも、父がやることが一つ減る。それだけで、意味がある気がしている。

父は、あのとき「分担」だと思って食器を洗いはじめた。あれから何年も経って、それは分担ではなく介護になった。父はそのことについて、何も言わない。

母は、それを知らない日もある。知っている日もある。

私は、知っている。

※この記事は、認知症の母を介護している家族としての体験と、調べたことをもとに書いています。認知症の初期症状の出方には個人差があり、ここに書いたことがすべての方に当てはまるわけではありません。気になる変化があるときは、早めにかかりつけ医や地域包括支援センターにご相談ください。

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