認知症の母が干した洗濯物は、ぐちゃぐちゃだった——それでも直さないと決めた理由

へんちょ、むいとる それでも、直さない 介護の知識

洗濯物を取り込もうとして、ベランダに出た。

竿にかかっている母のシャツが、変な形をしていた。ハンガーが、服の首のところと前ボタンのところに、抱えるように掛かっている。そのせいで服は90度ひっくり返って、袖が横ではなく、下を向いていた。

隣に干してあるタオルも、半分に折られないまま、端だけが引っかかっている。竿の上で、ぜんぶが少しずつ傾いていた。

「お母さんが干したんだね」

家に戻って、父に言った。

「へんちょ、むいとる」

父はそう言って、苦笑いした。変な方向を向いている、という意味だ。

怒ってはいなかった。直しに行くこともしなかった。ただ、笑っただけだった。

その返し方に、少し驚いた。そして、少しほっとした。

母は、家事が早くて、きれいな人だった

元気だった頃の母は、家事が早かった。しかも、きれいだった。

洗濯物の干し方ひとつ取っても、今とはまるで違う。肩の線をきちんと合わせて、間隔をあけて、竿にまっすぐ並んでいた。私は、そういう干し方しか見たことがなかった。

だから、ひっくり返ったシャツを見たとき、胸のあたりがすっと冷たくなる。同じ人が干したものだと、頭では分かっている。分かっているのに、うまく飲み込めない。

でも、干さない時期があったのだ

ここで、書いておきたいことがある。

母は、いちばん荒れていた時期、洗濯物を干さなかった。家のことを、ほとんど何もしなかった。

代わりに干していたのは、父だ。そして母は、その父の干し方に文句を言っていた。自分ではやらないのに、やり方には口を出す。あの頃の家の空気は、ずっと張りつめていた。

そう思うと、へんちょ向いた洗濯物は、あの頃には無かったものだ。

母は今、自分から干している。誰にも頼まれずに、洗濯物のところへ行って、自分の手で竿にかけている。ぐちゃぐちゃではあるけれど、母は、やろうとしている。

やる気がないのでも、忘れたのでもない

ではなぜ、あんな掛け方になるのか。

認知症では、「手順のある動作」が組み立てられなくなっていくと言われている。医学的には失行(しっこう)と呼ばれるもので、体は動くのに、動作の順番や、物と自分の位置関係が結びつかなくなる状態のことだ。

ハンガーで言えば、こうなる。「服を持つ」「ハンガーの向きを合わせる」「肩を入れる」「竿にかける」——私たちが何も考えずにやっているこの流れが、ばらばらになる。母は、ハンガーを持つ手も、服を持つ手も動いている。ただ、その二つの向きの関係が、分からなくなっている。

やる気がないのではない。さぼっているのでもない。やろうとしているのに、手順のほうが先に消えていく

この「見た目は同じなのに、中で起きていることが違う」という感じは、外出のときにも同じように出てくる(認知症の親と出かけられない——「夕方、一緒に行こうね」が通じない理由)。

コーヒーも、自分では淹れなくなった

同じことが、家の中のあちこちで起きている。

母は、コーヒーを自分で淹れなくなった。今は冷蔵庫にアイスコーヒーが入っていて、注ぐだけでいい。その注ぐだけの動作も、しない。

でも、誰かが淹れて出せば、ふつうに飲む。飲みたくないわけではないのだ。「飲みたい」と「淹れる」の間にある手順が、つながらなくなっている。

服も同じだ。着る順番が難しくなってきていて、夕方には下着をつけずに上着だけ、ということがある。前後が反対のまま出かけようとしたり、脱いだものをまた着ようとしたりする。

ただ、こちらから「手伝うね」と入るのは、受け入れてくれる。拒まれるわけではない。

直さない、と決めた

それで、うちで決めたことがある。

本人の前では、直さない。やり直させない。

ひっくり返った洗濯物を見つけても、その場では何も言わない。あとで、母が見ていないところで、そっと掛け直す。

理由はひとつで、母の「やろう」という気持ちを折りたくないからだ。

これは、きれいごとで言っているのではない。母は、イライラが強い時期には家事を一切しなかった人だ。今、自分から洗濯物を干し、夕飯の支度をし、洗い物をするようになったのは、ここ数か月でやっと戻ってきたものだった。

目の前で「そうじゃないよ」と直されたら、たぶんもうやらなくなる。私だって、そうなると思う。

それに、うちの母の場合、正面から否定される言い方そのものが怒りの引き金になりやすい(認知症の母が急に怒る——わが家で見つけた「3つの引き金」と、効いた対応)。干し方を直すというのは、母にとっては「それは違う」と言われるのと、たぶん同じことなのだと思う。

干し方の正しさと、母がまだ自分でやろうとしていること。どちらが家にとって大事かと言われたら、迷う理由がなかった。

そして、父も変わった

もうひとつ、書いておきたいことがある。

父は、母がこうなるまで、家事を一切しない人だった。

洗濯も、料理も、母の仕事だった。それが当たり前の家だった。

その父が、今は干している。母が干せなかった時期はずっと父が干していたし、母の文句も受けていた。そして今は、母がへんちょに干したものを見て、笑っている。直しもせずに。

あの苦笑いは、たぶん、私が決めたことと同じことを、父なりのやり方でやっているのだと思う。

気づけば、この家は役割がまるごと入れ替わっていた。認知症は、母だけを変えたのではなかった。

ぐちゃぐちゃの洗濯物は、証拠だ

あのシャツは、結局そのまま取り込んだ。直したのは、母が別の部屋に行ってからだった。

元気だった頃の干し方に比べたら、今のはめちゃくちゃだ。それは間違いない。

でも、へんちょ向いたシャツは、母がやろうとした証拠でもある。何もしなかった時期を知っているから、私はそう思うことにしている。

そして、それを笑って見ている父も、もう昔の父ではない。

洗濯物一枚に、この数年ぶんが干してある。そう思って、私は竿を見上げた。

※この記事は、認知症の母を介護している家族としての体験と、調べたことをもとに書いています。医療上の判断や治療については、必ず主治医やケアマネジャーにご相談ください。症状の出方や進み方には個人差があります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました