認知症の親が何度も同じ話をするのはなぜ?——「財布がない」の裏にある仕組みと、家族が楽になる考え方

介護の知識

母が、家計のお金が減っていると言い出した。父が使ったのだ、と。孫の前で、同じ話を何度も繰り返した。

でも実際は、母が自分で財布を隠していた。隠したことは、母の中から消えていた。父は使っていなかった。

私は「そんなことないよ」と何度も言いたくなったけれど、我慢した。母の中では「父が使った」が事実で、そこを否定すると、母は否定した相手を敵だと感じるからだ。

こういう日が、たまにある。あとになって、なぜ母がこうなるのかを調べてみたら、少し気持ちが楽になった。この記事は、その「なぜ」と、私が楽になった理由の話。

「盗まれた」「使われた」はどこから来るのか——物盗られ妄想

認知症の人が「財布がない」「通帳を盗られた」「お金を使われた」と言い出すことは、とても多い。これは「物盗られ妄想(ものとられもうそう)」と呼ばれる症状のひとつだと言われている。

仕組みは、こうらしい。

  1. 自分で大事なものを、どこかにしまう(隠す)
  2. しまったこと自体を、覚えていられない
  3. でも「物がない」という結果はわかる
  4. 記憶の穴を埋めるように、「盗まれた」「誰かが使った」という説明が生まれる

本人はウソをついているわけではない。記憶が抜けたところに、いちばん納得のいく説明を、脳が勝手に当てはめている。だから、本人にとってはそれが「事実」になる。

なぜ、いちばん身近な人が疑われるのか

疑われるのは、たいてい配偶者や、毎日世話をしている家族だ。理由は単純で、物を持ち去る機会がいちばん多いのが、いちばん近くにいる人だから。信頼していないから疑うのではなく、近くにいるから疑われる。

うちの場合、母がいちばん疑うのは父だった。父が悪いからではなく、父がいちばん近くにいるからだった。そう思えるだけで、少し受け止め方が変わる。

なぜ、何度も同じ話をするのか——保続(ほぞく)

もうひとつ、「同じ話を何度も繰り返す」ほうにも、名前がある。「保続(ほぞく)」と呼ばれる症状だ。

脳の前頭葉というところの働きが落ちると、考えの切り替えがうまくできなくなって、同じ言葉や同じ話題を続けてしまうことがある、と言われている。加えて、認知症では「今この話をするのは何回目か」という時間の感覚も薄れる。だから本人にとっては、毎回「初めて言っている」のと同じらしい。

しつこいのではない。本人の中では、「一回目」が何度も来ている。そう考えると、「さっきも聞いたよ」と言いたくなる気持ちが、少しだけおさまる。

なぜ「お金」なのか(私の推測)

これは私の推測も入るけれど、お金は「自分の生活を自分でコントロールできている」という安心の象徴なのだと思う。認知症になると、いろいろなことが自分の手から離れていく。その不安が、お金にいちばん出やすいのかもしれない。

「お金が減る」と繰り返すのは、お金そのものというより、「自分の世界が減っていく」ことへの不安の形なのかもしれない、と私は思っている。

家族はどう対応すればいい?

調べた範囲で、よく言われている対応をまとめておく。うちでも意識していることだ。

  • 正面から否定しない。「そんなことない」「あなたが隠したんでしょ」は、本人には攻撃に聞こえる。まず話を聞く
  • 一緒に探す。「困ったね、一緒に探そう」と、本人が探している場所を探す。家族が先に見つけて渡すと「やっぱりあなたが持ってた」になりかねないので、本人が見つけられるようにしむける
  • 普段から、隠し場所を把握しておく。認知症の人は同じ場所に隠す傾向がある。うちの母の隠し場所は、だいたい決まっている(認知症の親がお金を隠す——よくある隠し場所と対応のコツにまとめた)
  • 話題を変える。どうしても収まらないときは、別の話をして気持ちをそらす。うちでは、これがいちばん効くことが多い

どれも「解決」ではない。でも、その場をやり過ごせるだけで、家族の消耗はだいぶ違う。

説明があると、私は楽になる

こういう仕組みを知ったからといって、しんどさが消えるわけではない。疑われた記憶は、消えない。

でも、私は楽になった。「だからか」と、納得できたからだ。

母の言葉は、私や父への攻撃ではなかった。母の人格が変わったのでもなかった。記憶が抜けて、その穴を埋めるために生まれた「説明」だった。そう思えると、痛みの意味が少し変わる。「ひどいことを言われた」から、「病気がそう言わせている」に、少しだけ寄る。それだけで、次の日にまた実家に行く足が、少し軽くなる。

夜のひとり歩きのときも、同じことを思った。理由がわかると、対応が変わるより先に、こちらの気持ちが変わる(認知症の夜の徘徊はなぜ起こる?——本人の中にある5つの理由)。

「なぜ」を知りたくなったとき、私が最初に読んだのはこの本だった。イラストが多くて、疲れている日でも読める。物盗られ妄想も、同じ話を繰り返すことも、「接し方でこう変わる」という形で書いてあって、仕組みと対応が一緒に頭に入った。

それでも、罪悪感は残る

正直に書いておくと、仕組みを知っても、消えないものがある。

何をしても裏目に出ることが多い。良かれと思って言ったことで、怒られる。ありがとうを言われることは、ほとんどない。私には私の家族がいて、娘たちとの時間もあって、仕事もある。それでも実家に行かなければ、と思う。行けば、こういう日がある。

「頭ではわかっている」と「気持ちがついてくる」は、別のことだ。私はまだ、その間にいる。

「なぜ」を知ることは、自分を守ること

認知症の親の「財布がない」に、正しい答えを返そうとしても、うまくいかない。でも、なぜそう言うのかを知ることは、家族自身を守ることになる。攻撃されているのではなく、症状を見ているのだと思えるだけで、その場に立っていられる。

同じことで消耗している人がいたら、伝えたい。「なぜ」を知っても、しんどさは消えない。でも、意味は変わる。それだけで、少しだけ続けられる。

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