「3度3度、ご飯を用意するのが面倒」
母の口癖だった。認知症と診断されるより、ずっと前から。
「もう今更、色々やりたくない」
そうも言っていた。
父は「やらせないと、ボケてしまう」と言った
母が認知症になってから、家のことは少しずつ父の手に移っていった。
父は言っていた。自分が全部やってもいい。でも、それではお母さんがもっとボケてしまう、と。
だから父は、母に「手伝ってほしい」と言っていた。
リードを、駐車場にポンと引っかけて
たとえば、犬の散歩から帰ってきたとき。リードを外して、足を洗って、拭いて、片付ける。母が長年やってきた、一連のことだ。
それを、母はやらなかった。まるで当てつけのように、意地悪のように。
なんなら、持っていたリードを駐車場でポンと引っかけて、そのまま玄関に入ってしまう。
父が後から来て、リードを回収し、犬の世話をする。そのまま、庭に水をやることもある。
そして家に入ると、母が偉そうに言う。
「何やってたの?」
見ていても、嫌な気分になるくらいだった。
それで母の機嫌がよくなるのなら、まだいい。でも、母の攻撃性は、どんどん強くなっていった。
修羅場を通り抜けて、今がある
取っ組み合いの喧嘩もあった。殺す、殺される、という言葉が出るところまで行った。修羅場だった。
薬を変えて、少し落ち着いた(認知症の親の主治医を変えた話)。
でも、家事は、今も父がやっている。
母がやり始めたら、放っておく。何回お米を炊いても、文句を言わない。
それが、修羅場を通り抜けて、うちがたどり着いた形だ。
やりたくない。でも、やるべきだと思っている
母を見ていると、やりたくてやっているようには見えない。
やるべきだと思って、やっている。でも、やりたくない。でも、やってみる。うまくいかない。疲れる。
ある日の昼、私が「お昼何する?」と聞いた。母の機嫌が、少し悪くなった。
父が「流水麺だから、流すだけだよ」と言うと、母は「自分がやらなきゃ」と立ち上がった。そして、すぐに「疲れた」とこぼした。結局、私が用意した。二人は機嫌よく、流水麺のうどんを食べていた。
焼きそばを作った日もある。キッチンはぐちゃぐちゃで、母は手を油だらけにして、「洗うの忘れたわ」「疲れた」と言っていた。
茄子とピーマンとお肉の炒め物を、弱火でじっくり作っていた日もある。私が「醤油とってくるね」と言うと「いらない」。でも少しして、母のほうから「醤油必要よね」。「めんつゆ入れる?」と聞くと、「そうね」。そのあと、私がそばにいるとわかると、火をつけたまま、リビングに行ってしまった。
冷凍ご飯がたくさんあるのに、また炊いてしまった日もある。父が遠慮がちにそれを言った。前なら、怒り出すところだ。母は少し間をおいて、流した。
夕方、買ってきたお惣菜を、自分でお皿に移していた日もあった。父が「まだ早いよ」と言っても、怒らなかった。パックをポイっとキッチンに置いて、ソファに座った。
様子を書きためたメモを見返すと、母が自分から台所に立った日は、誰にも言われていない日だった。機嫌が悪くなったのは、「何する?」と聞かれた日だった。
その繰り返しで、よくなるわけではない。ちょっと調子がいいのか、悪いのか、ぐらいだ。
やりたくないことは、やらせなくていい
結局、どうなんだろう、と考える。
私は、やりたくないことは、やらせなくていいと思っている。
母はずっと、家族のために動いてきた人だった。父の送り迎え、早朝の弁当、パート、祖父母の世話。その母が、病気になる前から「もう今更、色々やりたくない」と言っていた。母の人生を思ったら、そうかも、と思う。
前にも、「嫌なことはやらなくていい、外に頼めるものは頼めばいい」と書いたことがある(認知症の母がチャーハンを作れなくなった日)。その気持ちは、今も変わらない。
調べてわかったこと——答え合わせ
正解なんてないのはわかっている。それでも、答え合わせがしたくて、調べてみた。
まず、「家事をやらせると、ボケにくい」ということは、はっきりとは確かめられていなかった。国の研究事業で認知症の専門医たちがまとめた指針(日本医療研究開発機構(AMED)研究班「認知症に対する非薬物療法指針」2024年)でも、家事そのものの効果は取り上げられていない。効果が確かめられているのは、運動(運動機能には「強く推奨する」、認知機能や日常生活、行動・心理症状には「提案する」)や、音楽療法、思い出を語る回想療法(行動・心理症状に「提案する」)などだった。
同じ指針には、どの方法であっても、本人の意思や好みを尊重することが優先されるべきだと書かれている。そして、本人ができていないことを、人から指摘されたり指導されたりすることは、本人にとって心理的な負担が大きい、とも。
認知症の人の怒りや不安などの症状を減らすケアの研究(認知症介護研究・研修東京センターほか「BPSDの軽減に資するケアの基本的考え方とケアの取り組みプロセス」令和4年度)では、まず本人に「今、どのようなことをしたいですか」「どのような日課・役割を持ちたいですか」と聞くところから始めている。役割は大事。でも、それを決めるのは本人の望みだ。
国立長寿医療研究センターも、認知症の人と関わるときのポイントとして「相手のペースに合わせる」「自尊心を守る」を挙げている(「認知症の方と関わるとき~大切な7つのポイント~」)。
父の「何か役割があったほうがいい」は、半分は合っていたのだと思う。私の「やりたくないことは、やらせない」も、間違ってはいなかった。違っていたのは、何をするかを、誰が決めるか、だった。
デイが、母の薬なのかもしれない
だから、デイがいいんだと思う。
母は、外面が意外といい。家ではやらないことも、デイでは嫌でも、いろんなレクをやってくる。
デイで何をしているのか、正直、細かいことはわからない。外にドライブに行ったり、季節がよければ公園の中を歩いたりしているらしい。
よく、小さな作品を持って帰ってくる。塗り絵、折り紙のようなもの、切って貼ったもの、パーツを組み合わせた、飾れるくらいの小さな置き物。
はじめの頃は、持って帰るのが嫌で、ゴミ箱に捨ててこようとしたみたいだ。でも、スタッフさんに言われて、持って帰ってくるようになった。
下の娘が「かわいいね」と言う。私も父も、「かわいいね」と言う。
それは、薬なのかもしれない。
「デイが薬」というのは、前の主治医が言っていたことだ。
調べてみると、デイサービス(通所介護)の目的は、国の基準にこう書かれている。利用者の「社会的孤立感の解消」と「心身の機能の維持」、そして「家族の身体的及び精神的負担の軽減」(厚生労働省「指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準」第92条)。
人と会うこと。体と頭を動かすこと。そして、家族が少し休めること。うちにとっては、その全部が、薬のようなものなのだと思う。
家では、やりたくないことはやらせない。頭と体を使うのは、デイに任せる。父の「やらせないとボケてしまう」と、私の「やらなくていい」は、うちではそういう形でつながった。
デイに通い始めるまでのことは、認知症の母がデイサービスに行くまでに書いた。
※この記事は、認知症の母を介護している家族としての体験をもとに書いています。気になることがあれば、主治医やケアマネジャー、地域包括支援センターに相談してみてください。

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