仕事帰りに実家へ寄ると、母はまだシャワーの前だった。
お風呂に入ること自体は、嫌がらなかった。うちでは今、母はひとりでお風呂に入る。そして、呼ばれたら誰かが行く。ふだんそれをやっているのは父だ。その日は、たまたま私がシャワーの時間に居合わせただけだった。
その日は、何回も呼ばれた。
「これ、どっち?」
最初に呼ばれたのは、髪を洗っているときだった。
どちらがシャンプーで、どちらがコンディショナーなのか、わからない。
文字が読めているのかどうか、私にもわからない。だんだん読めなくなってきているのかもしれない。書くほうは、もう一年くらい前からできなくなっている。
それに、うちのお風呂には父のシャンプーもある。ボディソープもある。何本も並んでいる中から、どれがどれなのかが、結びつかなくなっていた。
父と母は、違うシャンプーを使っている。母用のものもある。だから、お風呂には似たようなボトルが何本も並んでいる。
父には、父の見分け方があった。振ってみて、泡立つほうがシャンプーだ、という。
だから父は、母に「振ってみろ」と言う。
言うだけだ。それで母がわかった日があるのかどうかは、私は知らない。
「できない」と、母は言った
次に呼ばれたのは、下着を着るときだった。
「できない」
後ろ前なのか、裏表なのか。持ったまま、悩んでいた。
ブラトップは、向きは合っていた。でも、背中に水滴がついていて、うまく入らない。それでまた、呼ばれた。
母はいつも、パンツを二枚も三枚も持ってくる。そして、広げてしまう。脱いだものがどれで、新しいものがどれか、わからなくなる。
ずっと、なぜだろうと思っていた。たぶん、こういうことだ。
下着を手に取って、洗面所へ行く。でも、持ってきたことを忘れて、また取りに行く。それを繰り返している。
だとしたら、これはお風呂だけの話ではないはずだ。一日のあいだに、同じことが何度も起きている。母は、本当に疲れてしまうだろうと思う。
下着を引き出しからカゴに移したのも、もとはこれがきっかけだった(→父がいない夜、母はずっと怒っていた。——それでも、テーブルを整えたら落ち着いた話。)。
パンツの履き方がわからない、と言われたこともある。私は軽く言った。
「穴は二つしかないから、どっちかだよ」
怒ってはいなかった。母の声は、困っている声だった。助けを求める声だった。
入るか、入らないかも、まだある
このブログには、お風呂の話をいくつか書いてきた。母が入浴を嫌がった話。骨折したあと、誰が介助するかで家族が試行錯誤した話(→認知症の親の入浴介助、誰がやる?家族で試行錯誤した話)。
ずっと、「入るか、入らないか」が問題だと思っていた。
それは今も、なくなったわけではない。
入ろうと思っていても、途中で何か横槍が入ると、そのまま忘れてしまう。そもそも基本は、面倒くさい。入りたくない、と思っている。
でも同じくらい、入らなければいけない、とも思っている。だから厄介なのだ。
それに、もうひとつある。
入っていないのに、母は「入った」と言う。
「入ってないよ」と本当のことを言っても、通じない。母の中では、もう入ったことになっている。だから、そこから先の相談ができない。
食事のときは、これがちょうど逆になる。食べたのに「食べてない」と言う(→認知症の母が「ごはん食べてない」と言う)。どちらも、あったことと、本人の中に残っていることがずれている。違うのは、こちらが困る向きだけだ。
ただ、その日は違った。入ること自体では、もめなかった。呼ばれたのは、全部、入ったあとだった。
つまずいていたのは、お風呂の中の手順のほうだった。
ボトルを見分ける。下着の前後を決める。濡れた体に服を通す。ひとつずつ見ると小さなことが、続けて並ぶと、難しくなっている。
急に、こうなったわけではなかった
あとから、自分がつけている母の様子メモを読み返してみた。
七月のはじめ。服の組み合わせがちぐはぐだったり、裏表に着ていたりすることがあった。そのときは、うっかりだと思っていた。
七月の終わり。洗濯物がうまく干せなくなった。ハンガーの肩が合っていない。竿にまっすぐ掛からない(→認知症の母が干した洗濯物は、ぐちゃぐちゃだった——それでも直さないと決めた理由)。洋服部屋の収納も同じだった。掛けたつもりのハンガーが、服の首と前ボタンのところに抱えるように入っていて、服が九十度ひっくり返ったままぶら下がっていた(→認知症の母の洋服がカオス…タンスから全部出してしまう問題と私が試したこと)。
九月に入ると、それがはっきりしてきた。ハンガーの掛け方が、前後も左右もわからない掛け方になっている。
そして、この日。「できない」と呼ばれた。
こうして並べてみると、全部、同じことだった。服とハンガーの向き。下着の前と後ろ。ボトルの右と左。どれも「向き」と「順番」の話だ。
父も、同じことを言っていた。洋服の裏表、前後がわからない、と。父が家の中で毎日見ていたことと、私がその日お風呂の外で見たことは、同じだった。
私は、その少し前に洋服部屋を片付けたばかりだった。三日で、また軽く散らかった。片付けが足りなかったのではないのだと思う。
調べてわかったこと——答え合わせ
正解はないとわかっていても、答え合わせがしたくて調べてみた。
こういう症状には、名前がついていた。
長寿科学振興財団の「健康長寿ネット」によれば、認知症の中核症状のひとつに「失行」がある。「『お茶を入れる』『服を着る』『スプーンを使ってご飯を食べる』など日常的に行っていた動作や物の操作が、運動機能の障害がないにもかかわらず行えなくなります」とある(→健康長寿ネット「認知症の中核症状」)。そして「失認」は、目の前にあるものが何かを認識することが難しくなること、と説明されている。
服が着られないのは、手が動かないからではない。ボトルを選べないのは、目が悪いからではない。そういうことだった。
認知症介護研究・研修センターの資料にも、こう書かれていた。「お風呂に入るということが理解できても、そのための手順がわからない、例えば着脱の仕方が分からないということもあるでしょう」。そして介助する側にできることとして「一つひとつ手順を説明し、本人が混乱しないよう対応する」ことが挙げられていた(→認知症介護研究・研修センター「入浴場面における認知症ケアの考え方」)。
母がつまずいているのは、やる気でも、性格でもなかった。
それでも、母は呼べた
もうひとつ、書いておきたいことがある。
母は、黙って間違えたのではなかった。怒って物を投げたのでもなかった。
「できない」と言って、人を呼んだ。
それは、母がまだ、助けを求められるということだ。呼ばれれば、私は行ける。
工夫は、しないと思う
ボトルに印をつけるとか、そういう工夫を父に提案してみた。父は黙っていた。聞こえてはいるけれど、やる気はなさそうだった。父の中では、「振ってみろ」で足りているのかもしれない。
そして私も、たぶんやらない。
家のことを毎日やっているのは父だ。そこに私が口を出しすぎるのは、違うと思っている。
それに、前に冷凍庫で同じようなことを試したことがある。中身がわかるようにした。でも母は、決まった場所に物を戻す、ということをしない。だから、貼っても書いても、そのとおりには動かない。
下着を引き出しからカゴに変えたときは、助けになった。効くこともあれば、効かないこともある。
今できているのは、呼ばれたら誰かが行くこと。ふだんは父が、その日はたまたま私が。それだけだ。
※この記事は、認知症の母を介護している家族としての体験をもとに書いています。気になることがあれば、主治医やケアマネジャー、地域包括支援センターに相談してみてください。

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