母は、洋画が好きだった。
なかでも、海外ドラマの「CSI」には、すごくハマっていた。HDDレコーダーを自分で操作して、録画して、よく見ていた。
あれだけ好きだったのに、今はまったく見なくなった。
認知症とわかった頃、私はCSIの続編をプレゼントしたことがある。
母は無気力になっていて、デイサービスにも行っていなかった。医者からは、今までしてこなかった「何か」を始めることを勧められていた。教室でも、サークルでも。それが薬になる、と。何もないのなら、デイサービスが手軽でいい、とも言われた。
新しいことは難しくても、大好きだったドラマなら、と思った。
母は、観てはくれた。でも、なかなか先に進まないようだった。
観ているうちに、話の内容を忘れてしまうのかな、と思う。犯人を追いかける話は、前の場面を覚えていないと、ついていけない。
テレビのリモコンにも、エアコンのリモコンにも、自分からは触らない。
洗濯機の、どのボタンを押せばいいのか
洗濯機も、使えなくなった。
どのボタンを押せばいいのか、わからない。
それだけではない。ネットに入れる服、おしゃれ着コースで洗う服。そういう洗い分けが、できなくなっている。
母は、おしゃれが好きな人だった。実家には、一部屋まるごと衣装部屋になっている部屋があるくらいだ(認知症の母がタンスの服を全部出してしまうに書いた)。
今、洗濯は父がやっている。
父は、家事をまったくしてこなかった人だ。母は元気な頃、「お父さんは何もできないから、お父さんより長生きしなきゃ」と言っていた。
洗濯機は全自動だし、父はエンジニアだ。その気になれば、操作はなんとかなる。
わからなかったのは、分け方だった。どれをネットに入れるのか、どれをおしゃれ着で洗うのか。だから父は、母に聞きながら洗濯をしていた。
最近は、聞いても母が答えられない。今は、父がぜんぶやっている。
除湿機の、タンクが戻せない
玄関には、除湿機がある。
少し前までは、母が水を捨てていた。「なんでこれくらいしないのかしら」と父を責めながら、タンクを外して水を捨てる。でも、途中でやめてしまう日もあった。
水を捨てても、タンクを除湿機の中に戻せない。
そして今は、水がたまっても、そのままになっている。
空気清浄機は、コンセントを抜く
リビングの空気清浄機も、母には難しい。
止めようとして、操作がわからなくなる。すると、コンセントを引っ張って抜いてしまう。リモコンを投げたこともある。
父が声をかけても、母の反撃にあってしまう。
うちが、工夫をしない理由
家電のボタンにシールを貼る。手順を紙に書いて貼っておく。調べると、そういう工夫がたくさん出てくる。
でも、うちは何もしていない。
母の自尊心を、傷つけてしまうのがこわいからだ。
母は、攻撃的になる時期が長かった。機嫌をそこねると、本当に大変なことになる。「わからないでしょ」と言われているような目印は、母を怒らせるきっかけになりかねない。
だから父は、母の様子をうかがいながら、ひとりで家事をこなしてきた。その大変さは、計り知れない。
今、母が見ているもの
海外ドラマのかわりに、今の母は、犬たちと触れ合ったり、わかりやすい日本のドラマやバラエティ番組を観たりしている。
父も、洋画が好きな人だ。でも、一緒に見ていると、母は話がわからなくて、父に話しかける。父が真剣に見ているのも、気に入らないらしい。
映画の「国宝」がプライムビデオに来たとき、父が見ていたら、母の機嫌が悪くなった。
母には、話がわからない。だから、面白くないのかもしれない。これは、私の想像だ。
家電は、判断のかたまり
洗濯機のボタンは、ひとつ押せば終わり、ではない。
この服はデリケートだからネットに入れる。だからおしゃれ着コースにする。水の量はどうする。そうやって、何段階も判断して、やっとスタートボタンにたどり着く。
除湿機も同じだ。満水のランプに気づく。タンクを外す。水を捨てる。向きを合わせて、元に戻す。
どれも、ひとつひとつは簡単なことだ。でも、それがつながらない。
調べてわかったこと——答え合わせ
一つひとつはできても、つなげられない
健康長寿ネット(公益財団法人長寿科学振興財団)では、認知症の「実行機能障害」について、こう説明されている。
実行機能障害とは、物事を行う時に計画を立て、順序立てて効率良く行うことが難しくなります。
個々の動作はできても、「必要な情報を統合して遂行することが難しくなります」とも書かれている。
(出典:健康長寿ネット「認知症の中核症状」)
タンクは外せる。水も捨てられる。でも、戻すところまでつながらない。母の除湿機は、まさにこれだった。
できない部分を、さりげなく支える
健康長寿ネットの、認知症の人の服薬介助についてのページには、こう書かれている。
認知症が進行しても、認知症患者さんの残っている能力をできるだけ尊重して、できない部分をさりげなく支えてあげることが大切です。
薬の話として書かれているけれど、家電も同じだと思う。目印を貼って「できるようにする」より、母が気づかないところで父が回す。うちが選んだのは、その「さりげなく」のほうだった。
「好きだったこと」をしなくなる
海外ドラマを見なくなったのは、録画の操作が難しくなったからなのかもしれない。話の筋を追えなくなったからなのかもしれない。でも、それだけではない気もしている。
厚生労働省の研究班の報告書には、こう書かれている。
認知症では、中核症状である認知機能障害だけでなく、情動の変化が日常生活に大きな影響を与える。中でも無気力とうつ状態は頻度の高い症状であり、QOLや介護負担に大きな影響を与える。
(出典:厚生労働科学研究費補助金(認知症政策研究事業)研究報告書「特発性正常圧水頭症の患者における認知機能・うつ・無気力の調査」)
※この報告書は、正常圧水頭症という病気の研究の中で書かれたもの。冒頭の一文は、認知症全体について述べている。
母の場合が無気力なのか、操作が難しいからなのか、それは私にはわからない。両方なのかもしれない。
好きだったものが、ひとつずつ
洗濯機のボタン。除湿機のタンク。テレビのリモコン。
使えなくなったものを数えると、さみしくなる。
でもそれ以上にさみしいのは、あんなにハマっていた海外ドラマを、母が見なくなったことだ。
家電は、父が回してくれている。家事をしてこなかった父が、洗濯もやっている。暮らしは、なんとか回っている。
ただ、母の「好き」は、誰にも代わりができない。
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※この記事は、認知症の母を介護している家族としての体験と、調べたことをもとに書いています。意欲の低下や、できないことが急に増えたと感じるときは、主治医に相談してください。

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