2年ほど前の話だ。
父から連絡が来た。「お母さんの自転車がない」と。
穏やかな相談ではなかった。父の話し方はいつもそうで、困っていることをそのまま投げてくる。私は「知らない」と答えるしかなかった。
でも、考えれば答えはひとつしかない。父が乗り出したわけがない。母が乗って出かけて、どこかに置いてきたのだ。歩いて帰ってきて、自転車のことは忘れた。そういうことだと思った。
自転車は倉庫にしまってあった
実家の自転車は、普段は倉庫にしまってある。だから、なくなったことに気づくのが遅れた。母が出かけたのはその数日前で、父と揉めて、感情的になって飛び出したのだという。帰ってきたとき、手ぶらで、自転車のことは何も言わなかった。
父が倉庫を開けて初めて、自転車がないことに気づいた。
「どこにやったんだ」と父が母に聞く。母は覚えていない。覚えていないから「知らない」と答える。なぜ自分のせいにされるのかと怒り出す。
母は嘘をついているわけじゃない。本当に、何も覚えていないのだ。
車で近所を探した
私は車で近所を走った。自転車が停まっていそうな場所を、頭の中で思い浮かべながら。スーパー、コンビニ、公園の入り口。
その日は見つからなかった。
数日後、実家に寄ったとき、父が言った。「自転車、見つかったよ」と。
近所のパン屋に停めてあったらしい。
「そういえば、お母さんパン買ってきたな」と父は言った。その日のことを、父はちゃんと覚えていた。母が帰ってきたとき、パンを持っていたこと。でもそのとき、自転車のことは気にしていなかった。
私には、見つかったという連絡がなかった。実家に寄って、初めて知った。
連絡くれればよかったのに、と思った。でも、言えなかった。
自転車屋さんが、母のことを覚えていた
つい先日、私の自転車を点検に出したとき、馴染みの自転車屋さんに声をかけられた。「お母さん、元気ですか?」と。
あのとき、父は自転車屋さんにも電話をして、「母が自転車を持ってきていないか」と聞いていたらしい。そのやりとりで、自転車屋さんは何かを感じ取ったのだと思う。
母は、以前はよくその店に自転車を持ってきていた。はつらつとしていて、お店の人とも気さくに話していた。そういう人だった。
「元気ですか?」という言葉の奥に、気づいているんだな、ということが伝わってきた。
これは、ひとり歩きのはじまりだったのかもしれない
あのとき私は、「自転車をどこかに置いてきてしまった」という出来事として受け止めていた。でも今思えば、これはひとり歩きの入り口だったのかもしれない。
感情的になって外に出て、どこかで自転車を降りて、歩いて帰ってきた。そのことを、何も覚えていない。
もし帰ってこられなかったら、と考えると、ぞっとする。
認知症の親の「外出」は、こういう形で突然やってくる。怒って飛び出す、買い物に出たまま帰り道がわからなくなる。そういうことが、静かに、日常の中に混じり込んでいる。
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