認知症の母が、夜に米を届けに来た——「あげたいのに、抱え込む」母の変化

母のこと

母は、昔から私に何かと持たせてくれる人だった。

父が「お米」と言うと、母の機嫌が悪くなる

いつもの様に母のご機嫌伺いして帰ろうとすると、父が母に「お米」と言う。母は米を持ってくる。「くれるの?」「ありがとう!」と私は言うが、母の様子がおかしい。なにか、また父にぶつぶつと文句を言っている。話題を変え、母の機嫌が良くなるように私が喋りだす。

ふとした瞬間、「これは、家で食べるから。」と母がいい、米を持ち去った。「もう一つあるから、欲張らなくていい」と父が言って、また母が怖い顔になった。病気がさせていることだ。父もわかっているはずなのに、地雷を踏む。その米がさっきうちに来た。

暗くなってから、母が自転車で来た

母が暗くなってから、うちの近くに自転車で来た。私の家がわからない様で何回も電話してきた。私は部屋着で、スマホ片手に「何が見える?」と母に聞きながら、なんとか合流。すると、破けた穴のあるお米5kgが自転車に乗っていた。私に渡すために母が持ってきてくれたのだ。その穴からいろいろな想像をしてしまう。あげたいけど、あげたくない。母の中で、何が起きているんだろう。

昔は、たくさんくれる母だった

ちょっと前までは、母は私に肉や魚、フルーツ、多く買ってきては、私にくれた。「子どもたちに食べさせて〜」そんな朗らかな母だった。お米を見るとせつなくなる。

あげたい母と、抱え込む母——「ためこみ」という症状

米を持ち去ったときの母と、わざわざ夜に届けに来てくれた母。同じ日の母なのに、ちぐはぐで、せつなかった。あとから、調べてみた。

認知症には「ためこみ(収集)」という症状があるらしい。ものが少ないと不安で、たくさんあれば安心する——その心理から、同じものを集めたり、抱え込んだりする。母の家に、買った覚えのない同じような上着が10枚ある、と父が言っていた。診断の前、まだ運転していた頃に買ったんだと思う。あれも、たぶんこれだ。

私が実家にいた頃、母は私のハンガーを隠して、「ハンガーがない」私が持っていってしまったと、父に言ったことがあった。あれも、ただの意地悪じゃなかった。「なくなったら困る」という不安が、母にそうさせていた。

思えば、昔の母は逆だった。肉やフルーツを買い込んでは「子どもたちに食べさせて」と、たくさんくれる人だった。あげる母と、抱え込む母。どちらも母で、変わってしまったのは性格じゃなくて、脳の中の「安心」の感じ方なのかもしれない。

穴の空いた米を、それでも私に届けたかった母。あの夜の母は、ちゃんと「あげる母」だった。

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