実家の食事に、配食サービスを入れている。月・水・金の週3回、おかずだけを届けてもらう形だ。
入れる前は、両親ともあまり乗り気ではなかった。今は、届く日になると「ああ、よかった。ご飯作らなくていい」と言う。楽しみ、とは少し違う。助かった、に近い顔をする。
入れた理由は、栄養バランスでも、私の手間でもなかった。母の機嫌のためだった。
きっかけは、母の料理が変わってきたこと
認知症の母は、もともと料理をする人だった。品数を並べて、手際もよかった。
それが、少しずつ変わっていった。夕飯のおかずが一品だけの日が増えた。作ったこと自体を忘れて「まだ食べていない」と言うようになった。台所に立っても、途中で止まってしまう。
料理は、同時にいくつものことを進める作業だ。切って、火にかけて、味を見て、別の鍋も気にして——その並行作業が、いちばん早く崩れていく。振り返れば、あれは認知症の始まりのサインのひとつだった(認知症の始まりは、父が食器を洗いはじめた頃だった)。
そこから、食事はほとんど父が作るようになった。父も高齢だ。毎日三度、ずっと続けられることではない。
でも、本当の理由は母の機嫌だった
ここまで書いてきたことは、たしかにそのとおりだ。でも、うちが配食を入れたいちばんの理由は、そこではない。
作れなくなっても、母の中には「ご飯を作らなきゃ」という気持ちだけが、ずっと残っている。でも、思ったようには手が動かない。台所の前で止まる。そうしているうちに、だんだん機嫌が悪くなっていく。
そして、そのイライラは父に向かった。作らない父を責めて、きつい言葉が出るようになった。——実際には、父はもう毎日作っている。それでも、母の中ではそうなっていない。
認知症の怒りには、たいてい引き金がある(認知症の母が急に怒る——わが家で見つけた「3つの引き金」と、効いた対応)。出てしまった言葉のほうをどうにかしようとしても、たいていうまくいかない(認知症の親の暴力・暴言への対応——原因と、介護者が抱え込まないための相談先【経験者】)。
だったら、引き金のほうを減らせばいい。
母が気持ちよく過ごせるように、怒りのもとになるものをひとつ外す。うちの配食は、食事の外注というより、そういう引き算として始まった。
もうひとつの「しなきゃ」——ご飯を炊く
じつは、まったく同じ形をした「しなきゃ」が、うちにはもうひとつある。
冷凍ご飯がたくさんあるのに、母がまたご飯を炊いてしまう。
母は「ご飯を炊かなきゃ」と言い出すと、機嫌が悪くなる。そして炊く。炊いたぶんを、誰かがラップに包んで、冷凍できるように準備しなければならない。それをやるのは父だ。
父からすれば、冷凍庫にはもうご飯がある。それなのにまた増える。だから、母が炊きはじめると、父はちょっと怒る。
——つまり、しんどいのは炊く作業そのものではない。炊いたものが積み上がって、片づける人がいて、そこで空気が悪くなることのほうだ。食事の負担って、たぶんこういう形をしている。
おかずのほうは、配食で「しなきゃ」を外せた。ご飯のほうは、まだ残っている。
うちは「おかずだけ」にしている
今頼んでいるのは、おかずだけ。主食は自分たちでご飯を炊いて食べている。
中身は、おかずが6品。まあまあ品数が多い。私も一度もらって食べてみたことがあるけれど、ふつうにおいしかった。
ここは、けっこう大事だと思っている。おいしくないものを、母はまず食べない。「体にいいから」も「もったいないから」も通じない。おいしいかどうかだけが残る。
正直に書くと、私は、ご飯も頼んでいいと思っている。炊いて、包んで、冷凍する——その一連が、けっこうな負担に見えるからだ。
でも両親は、そう思っていない。ご飯くらいは自分たちで、と考えている。
この温度差は、うちではよくあることだ。特養の申請をなかなか進めない父も、「自分でできるところまで」と思っている(特養の申請を、父が怖がる理由。それは正しい怖さだと思う。)。どちらが正しいという話ではないのだと思う。ただ、見ている側と、やっている側で、負担の見え方が違う。
だから今は、おかずだけ。相手が受け取れる量から始めるのも、続けるためには大事なことなのかもしれない。
温め方は、フタに書いてあるとおりに
うちが頼んでいるのは、そのまま冷凍するのは推奨されていないタイプ。温め方は、お弁当箱のフタに書いてある。
やることは、これだけだ。
サラダやお漬物の入った小さなカップを取り出して、あとはそのまま電子レンジに入れる。時間はフタに書いてあるとおり。移し替えも、ラップも、いらない。
この「考えなくていい」感じが、うちにはちょうどよかった。父も高齢だし、私もいつも実家にいられるわけじゃない。手順が少ないほど、続く。
いいなと思っているのは、その日に食べなくても、冷蔵庫に入れておけば翌日ふつうに食べられることだ。認知症の母は、食べたい時間も食べる気分も日によって違う。「今日は絶対食べない」と言い張る日もある。そういう日に、無理に食べさせなくていいのは助かる。
ちなみに、温めて、お茶を入れて、トレイに並べてテーブルに置くと、母の機嫌が落ち着くことがある。言葉で説得するより、整った食卓のほうが届く日がある(父がいない夜、母はずっと怒っていた。——それでも、テーブルを整えたら落ち着いた話。)。
玄関で、同じ人が顔を見せてくれる
もうひとつ、あとから気づいた良さがある。
配達に来てくれる人が、だいたいいつも同じ人なのだ。玄関で顔を合わせて、少し言葉を交わす。
来る曜日も時間も、ほとんど決まっている。うちは月・水・金の夕方5時ごろ。決まった順番でご近所を回っているようで、配達のスケジュールが変わらないかぎり、時間はそんなにずれない。
お客さんが増えて、時間が少し遅くなったことはある。でも、ずるずるずれ続けるわけではなくて、次からはその時間で落ち着く。
この「だいたい同じ時間に来る」が、うちではけっこう大きい。こちらの段取りも決まるし、両親も身構えずに済む。
それは見守りサービスではないし、そういう契約でもない。でも週に3回、決まった人が家の前まで来て、両親の顔を見る——それだけで、少し安心する。何かあったときに「いつもと違う」と気づける人が、家族以外にもいるということだから。
母は、最近は食べている
始めた頃、母はあまり食べなかった。知らないものが出てくることへの抵抗もあったのだと思う。
でも最近は、たいてい完食している。
認知症の介護をしていると、「慣れるまでひと山ある」ことが本当に多い。デイサービスもそうだった。最初は泣いて怒って、今は自分から玄関で待っている。配食も、同じだったのかもしれない。最初の数回で判断しないほうがいい——これは、うちが何度も学び直していることだ。
残念なのは、年末年始とGW
実用の話をひとつ。ゴールデンウィークと年末年始は、配達が休みになる。
これは、始める前にはあまり考えていなかった。いちばん人手が足りなくて、いちばん助けてほしい時期に、届かない。
だから、その時期は自分たちで用意する必要がある。冷凍のおかずを少し買い足しておくとか、事前に休みの日程を確認しておくとか。「休みがある」と知っているだけでも、慌てずに済む。
食事を外に出すのは、手抜きじゃない
配食を入れるとき、少しだけ迷いがあった。家で作ったものを食べさせるのが当たり前だと、どこかで思っていたのだと思う。
でも今は、こう思っている。
作れなくなった人に作らせ続けることも、作る人ひとりに背負わせ続けることも、家族の誰かがすり減る形でしか続かない。外から届くものが週に3回あるだけで、その家の空気が少し変わる。
うちはまだ、おかずだけだ。いつかご飯も頼む日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
それでも、あのとき入れてよかったと思っている。母が「作らなきゃ」と思わずに済む日が、週に3日できた。それだけのことなのに、家の中の空気は、たしかに変わった。
※この記事は、認知症の母を介護している家族としての体験をもとに書いています。配食サービスの内容・料金・配達エリア・休配日は事業者や地域によって違うので、詳しくは各サービスにご確認ください。介護保険の配食サービスがある自治体もあるので、ケアマネジャーや地域包括支援センターに聞いてみるのも早いと思います。

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