認知症の母が、自分で運転免許を返納した日——「迷惑をかけるよ」では動かなかった

「迷惑をかけるよ」は、言わなかった。母が自分で免許を返納するまでの半年 介護の知識

母は、2024年の夏前に運転免許を返納した。

自分で決めた。

正直に言うと、私はもっと時間がかかると思っていた。だから返納したと聞いたとき、いちばん驚いたのは私だった。

2023年まで、母はふつうに運転していた

認知症の診断が出たのは2023年。それまで母は、当たり前のように車に乗っていた。

買い物にも自分で出かけていたし、頼めば送り迎えも「いいよ」と引き受けてくれる人だった。

だから最初は、運転をやめてもらうなんて考えてもいなかった。

最初の異変は、「運転」じゃなかった

おかしいと思い始めたきっかけは、運転そのものではない。

道を間違えたわけじゃない。ぶつけたわけでもない。「怖い」と言い出したわけでもない。

変わったのは、こっちだった。

迎えの時間や場所が、穴が開くように抜ける。

何時にどこ、と決めたはずのことが、まるごとなくなっている。私だって時間を勘違いすることはあるし、うっかり忘れることもある。でも、あのときの母のそれは、それとは違っていた。

間違えているのではなく、そこだけ空白になっている感じ。あとから思えば、これが最初のサインだった。

誰にも言わずに、みんなで心配していた

うちの認知症は、攻撃性がだんだん強くなっていくタイプだった。

母は怒り出すと止まらなくなって、車の鍵を持って出て行ってしまう日も、少なくなかった。この時期のことは、別の記事にも書いた(認知症の親の暴力・暴言への対応——原因と、介護者が抱え込まないための相談先【経験者】)。

父も、弟も、私も、そのたびに心の中で同じことを思っていた。

誰かに迷惑をかけてしまわないか。

でも、口には出せなかった。言えば怒る。怒れば余計に鍵を持って出て行く。(認知症の母が急に怒る——わが家で見つけた「3つの引き金」と、効いた対応

当時のことを書くと、まだ少し苦しい。母は私にはほとんど怒っていたけれど、弟が来る日は機嫌がよかった。それが本当につらくて、悲しかった。毎日実家に通わなければならなくて、離婚したばかりで自分の生活もぼろぼろで、立っているのがやっとだった。地域包括支援センターの方に母の攻撃性を相談したとき、「いちばん近い存在の、お父さんとあなたに辛く当たるのは、あるあるですよ」と言われて、何度も泣いてしまったのを覚えている。

決定打は、弟にかかってきた電話だった

そのあと、こんなことが2回くらいあった。

父が母に送り迎えを頼んで、出かけた先で、母が「自分がどこにいるかわからない。道がわからない」と泣いて、弟に電話をかけたのだ。

——ちなみに、そういうとき私には電話が来ない。

それからだんだん、母は自分から運転しなくなっていった。それでも、怒りがピークになった日は、たまに車で出てしまった。

「迷惑をかけるよ」は、言わなかった

ここが、うちでいちばん大事だったところだと思う。

私たちは「誰かに迷惑をかけるよ」とは言わなかった。「踏み間違えたらどうするの」も言わなかった。

言っても、届かないと感じていたからだ。

母は、相手の身になって考えることが、だんだん難しくなっていた。意地悪になったわけではない。人が変わったわけでもない。ただ、他人の側から物事を見る力が、静かに落ちていた。

だから代わりに、こう言った。

「今まで一生懸命、真面目に生きてきたのに、何かあったら悔しいじゃん」

誰かのためではなく、母自身のため。母が気持ちよくいられるほうへ。そういう向きの言葉だけを選んだ。

これは、うちだけの話じゃなかった

あとから調べて、少し腑に落ちたことがある。

認知症で失われるのは記憶だけではない。「社会的認知」という力も、認知機能のひとつとして数えられている。

国立長寿医療研究センターは、認知症でみられる障害のひとつに「社会的認知・判断の障害」を挙げていて、その症状をこう説明している。他人に共感したり、同情したりすることができない——と。

診断の国際的なものさし(DSM-5)でも、認知症でみる領域は6つあって、そのひとつが社会的認知=他人の気持ちに配慮したり、表情を適切に把握したりする能力とされている。記憶と同じ列に、ちゃんと並んでいる。

つまり、「相手の身になれない」は、性格の問題ではなく、症状のひとつだった。

それを知っていたわけではないけれど、うちが自然と「迷惑をかけるよ」を捨てたのは、たぶん間違っていなかったのだと思う。正しいことを言っても届かない場面が、認知症の介護にはたくさんある(認知症の親に「正しいこと」を言ってはいけない。父が教えてくれた、その理由。)。

説得ではなく、回数だった

伝え方も、たぶんふつうと違う。

座って話し合ったことは、一度もない。説得はしなかった。

やったのは、回数だ。

弟が週に1〜3回、母の顔を見に来てくれる。そのときに、毎回ではないけれど、世間話のように免許の話をよく出した。母が機嫌よく話を聞いてくれる日は、母の目を見て、「返納した方がいいよ」と短く言う。それだけ。

機嫌の悪い日は、言わない。

そしてもうひとつ。言ったのは、主に弟だった。

うちは、私が言うより弟が言うほうが、すっと通る。同じ内容でも、届き方がまるで違う。悔しい気持ちがなかったと言えば嘘になるけれど、目的は「私が言うこと」じゃなくて「母が納得すること」だから、通る人に頼んだ。

これを、半年くらい続けた。

母が出した答え

途中で、母はこんなことを言った。

「今まで無事故無違反が自慢なの。最後に汚点を残すのは嫌だから、考えてる」

この言葉を聞いたとき、噛み合った、と思った。

私たちが「あなたが悔しい思いをしないために」と伝え続けたことと、母の中にまだ残っていた「真面目にやってきた」という誇りが、同じところで出会った。

そして2024年、母は自分で返納を決めた。手続きには、父が連れて行った。

私は言った。

「お母さん、偉いね。勇気あるね。かっこいいよ」

弟も、同じことを言った。

返納しても、終わりではなかった

ここからが、あまり書かれていない話だと思う。

返納したあとも、母はときどき運転するつもりで鍵を持つ。父が「もう返したよ」と伝えると気づく。でも、機嫌が悪くなる。

だから弟が父に頼んだ。「鍵は、しまっておいてほしい」と。

最近では、こんなこともあった。私が車で母を拾って買い物に行った日、母は途中から「自分が運転して娘を拾った」と話しはじめた。私は訂正しなかった。そのまま話を合わせて、駐車場で自分の車を見て、母は「もっと早く言ってよ」と笑った。

体験がまるごと抜けて、感覚だけが残る。うちでは、いろいろな場面で同じことが起きている(認知症の母が「ごはん食べてない」と言う——食べた記憶だけが、抜け落ちていく)。

いま母の財布には、返納した人がもらえる身分証明書(運転経歴証明書)が入っている。免許証によく似た、少しだけ違うカードだ。

そして今度は、父の番がくる

うちには、まだ車がある。父が乗っているからだ。

父は75歳を過ぎた。認知症のほうは大丈夫だと思っている。でも、年をとっているのは確かだ。正直に言えば、返納してくれたほうが安心する。

でも、まだ言っていない。

——ただ、母を返納に連れて行ったのは、父だ。返す側の気持ちも、連れて行く側の気持ちも、父はもう知っている。だからきっと、いつか自分の番が来ることも、私より先に分かっている。

代わりにやっているのは、これだけ。

以前のように、送り迎えを頼まないようにする。みんなで出かけるとき——最近はあまりなくなってしまったけれど——は、私が運転する。

取り上げるのではなく、運転しなければならない理由のほうを、少しずつ減らしていく。

母のときに学んだのは、たぶんそういうことだった。正面から向き合って勝とうとしない。相手が受け取れる形にして、時間をかける。

父の番がいつ来るのかは、まだわからない。
そのときも、「迷惑をかけるよ」とは言わないつもりでいる。

参考にした資料

運転免許証の自主返納について|警察庁
自主返納の手続き先や、運転経歴証明書のことが書かれています。運転経歴証明書は、本人確認書類として使えます(申請できる期間に決まりがあるので注意)。

もの忘れと認知症|国立長寿医療研究センター
認知症でみられる障害のひとつとして「社会的認知・判断の障害=他人に共感したり、同情したりすることができない」が挙げられています。

認知症の診断(臨床的視点から)|長寿科学振興財団
DSM-5で認知症をみるときの6つの認知領域のひとつが「社会的認知(他人の気持ちに配慮したり、表情を適切に把握したりする能力)」であることが説明されています。

※この記事は、認知症の母を介護している家族としての体験と、調べたことをもとに書いています。症状の出方には個人差があります。運転が心配なとき、返納の話が家庭内でこじれてしまうときは、主治医・ケアマネジャー・地域包括支援センター、お住まいの地域の警察(運転免許センター)にも相談できます。ひとりで抱えなくて大丈夫です。

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