昼ごはんを持って、実家に行った
日曜の昼前、昼ごはんを持って実家に行った。
母は落ち着いていた。ただ、機嫌がいいわけではない。「元気?」と聞いたら、「元気じゃない」と返ってきた。笑いながら言えるくらいの調子だった。
家の中は片付いていた。やり方を見て、父がしているのだとわかった。
私は前の日に、自分の好きなことをして、友だちともしゃべってきたところだった。だから母に出せる話のネタがいくつかあったし、自分も元気だった。母の知っている友だちの近況を話すと、母はいくつか興味を持って聞いてくれた。
テレビを見て、他愛のない話をして過ごした。途中から父も入ってきて、私の顔を見てコメントしたりした。本人は気づいていないと思うけれど、珍しいことだ。
昼になって、私が配膳して、お茶を入れた。二人はテレビを見ながら食べた。
母が行儀の悪い格好で食べていた。病気になる前はしなかった座り方だ。父が軽く注意すると、母は素直に聞いて、怒らなかった。
柔らかい時間だった。
母の中にある、出口のないループ
食べている母を見ていて、思った。
母の中では、こういうことが同時に起きている。
- お腹はすく
- でも、食べるために準備をするのはいや
- お菓子とか、アイスとか、すぐ口に入るものを好きに食べたい
- でも、ちゃんと食べないと父に怒られる
- でも、食事の支度は面倒くさい
ぜんぶ本当で、出口がない。
出口はひとつだけある。
誰かが用意して、目の前に置くこと。
そうすると母は、機嫌よく食べる。
「3度3度、ご飯を用意するのが面倒」は、母が認知症と診断されるよりずっと前からの口癖だった。やりたくないことはやらせなくていい、と私は思っている(家事、やらせたほうがいいの?)。
でも、やらせないだけでは足りない。やらなくていい状態を、誰かが用意しなければならない。うちでは、それを父がやっている。
元気そうに見える人こそ、なのかもしれない
それで、ふと思った。
母にとっての出口は、「誰かが用意して、目の前に置くこと」だった。
ホームは、それが毎食くり返される場所だ。時間になれば、食事が出てくる。「面倒だな」と思う場面が、そもそも来ない。
母は今、要介護1だ。身体は元気で、歩けるし、しゃべれる。外から見たら「まだ大丈夫」に見えると思う。
でも、だからこそなのかもしれない。
元気そうに見えるうちのほうが、いいのかもしれない。
そう思った。
友人の母は、施設に入って要介護4から1になった
友人のお母さんの話を聞いた。
要介護4で、特別養護老人ホームに入所した。そして、環境の整ったところで過ごすうちに、1年も経たないうちに要介護1になった。
認知症の人には、訪ねてきた人の前ではいいところを見せてしまう、というところがある。だから認定の調査でも、実際より軽く出てしまうことがある。友人のお母さんの場合は、ケアマネジャーがそこを修正して、要介護3という判定になり、そのまま入所を続けられている。
この話を聞いて、思った。
施設は、どうにもならなくなった人が行く場所じゃない。
オムツになったから。ひとり歩きをするから。だから特養へ。——そういう順番で決まるものだと、どこかで思っていた。
でも、そうじゃない。
認知症になっても、自分らしく。今まで頑張ってきたんだから、普通に、穏やかに過ごしてほしい。そのために何がいちばんいいのか。
決めるのは、そっちの問いのはずだ。
「面倒が見られないから預ける」ではない
こういうことを書くと、家族が音を上げた話に聞こえるかもしれない。でも、そうではない。
私が思ったのは、母が気持ちよく暮らせるように、ということだ。
本当は、私たち子どもや父がやればいい。家族でやればいい。でも、そうはいかない現実がある。
父がいちばんできる位置にいる。でも、父だって歳をとっている。そして、そばにいる分だけ、母にきつく当たられる。それでは父が大変すぎる。
私にも生活がある。家族にも人生がある。
母は、そこまでは思いやれない。病気だから。
そして、どんどん進行していく。
今まで頑張ってきた人たちに、気持ちよく過ごせる場所を。
家族としても、お見送りを穏やかにできる。
私が思っているのは、そういうことだ。
家の中の、三人の言い分
とはいえ、うちの中で意見がそろっているわけではない。
父は、「できるところまで、自分が」と言っている。
だから、施設の話は考えていない。前に「黙って死ぬのを見ててくれ」と言われたときから、そこは変わっていない(親を施設に入れるタイミング)。
母は、「家にいたい」と言う。
ただ、それだけだ。理由を並べるわけでもない。家にいたい。
ここで、思い出したことがある。
母は元気だった頃、「舌を噛んで死ぬ」とか、「ホームに入りたい」とか、言っていた。
人に迷惑をかけるくらいなら、という意味だったと思う。そういうことを言う人だった。
——逆転している。
元気なときに「ホームに入りたい」と言っていた人が、病気になったら「家にいたい」と言う。
どっちも、本人の本心だ。元気なときの「迷惑をかけたくない」も本当だし、今の「家にいたい」も本当だ。
だから私は、どちらの言葉を持ち出してもいいことにならない、と思っている。元気なときの母の言葉を、今の母に当てはめるのは、たぶん違う。
私のためらい
ためらいはある。
でも、自分の年齢のことも考える。
母が90歳まで生きたとしたら、私は70歳だ。
私にとっても、一度の人生だ。子どももいる。子どもたちに迷惑をかけたくないから、自分の健康にも気をつけたい。そして、人生を謳歌したい。
欲張りだろうか。
そう思いながら、今日も実家に行っている。
調べてわかったこと——答え合わせ
「元気そうに見えるうちに」と思ったところで、そもそも入れるのか。調べてみた。
特別養護老人ホームは、原則として要介護3から
厚生労働省の通知「指定介護老人福祉施設等の入所に関する指針について」(平成26年12月12日 老高発第1212001号)には、平成27年4月1日以降、「施設への入所が原則要介護3以上の方に限定される」と書かれている。
母は要介護1だ。原則でいえば、対象外になる。そして、申し込んでも待たされる(特養の申請はいつから?)。
ただし、要介護1・2でも入れる「特例入所」がある
同じ通知には、要介護1・2の人が特例的に入所できる場合の事由が挙げられている。そのひとつめがこれだ。
認知症である者であって、日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られること
四つめには、こうある。
単身世帯である、同居家族が高齢又は病弱である等により家族等による支援が期待できず、かつ、地域での介護サービスや生活支援の供給が不十分であること
要介護1だから無理、と私は思い込んでいた。でも、道は閉じていなかった(要介護1でも特養に入れる場合)。
介護付き有料老人ホームは、要介護1から対象になる
私が「ホーム」と言って思い浮かべていたのは、有料老人ホームのほうだった。
厚生労働省の介護サービス情報公表システムによると、「特定施設入居者生活介護」——指定を受けた有料老人ホームや軽費老人ホームなどで受けられるサービス——の対象は、要支援1・2の人と、要介護1〜5の人だ。「食事や入浴などの日常生活上の支援や、機能訓練などを提供します」とある。
つまり、母は今の要介護1でも対象に入る。
「元気そうに見えるうちのほうが」という私の思いつきは、制度の上では、まちがっていなかった。
まだ、何も決まっていない
父は考えていない。母は家にいたい。私はためらっている。
それでも、今日の昼ごはんの時間は、確かに柔らかかった。
母が機嫌よく食べていたのは、目の前に用意されていたからだ。
その日が毎日続く場所があるとしたら、それは母にとって、悪い話ではないのかもしれない。
帰りぎわ、母が「お米を持って帰りなさい」と言ってくれた。「欲しい?」とお茶目に聞いてきたので、「欲しい!」と答えた。父が、珍しく玄関まで送ってくれた。
こんな時間がたまにあると、私は救われる。
だから、今はまだ、何も決まらなくてもいいと思っている。

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