「汚い男だ」
母がそう言ったのを、私は聞いた。
認知症になってから、母の言葉はときどき刃になる。長年連れ添った夫に向かって、信じられないような言葉を投げつける。「こんな人といても仕方ない」「出て行け」——そういう言葉が、日常の中に混ざってくる。
父は、怒らない。
黙って聞いている。あるいは、その場をそっと離れる。怒鳴り返したことも、泣いたところも、私は見たことがない。
働き者だった母のこと
母は働き者で、家事はスーパー早くて完璧だった。
多忙な父の、駅までの送迎。帰りは深夜になることもあった。それでも翌朝は早く起きて私たちの弁当を作り、昼間はパートに出ていた。
祖父母と同居していた頃は、周りの人から実の親と間違われるほど、朗らかに世話をしていた。祖父のことは、母が看取った。
父は、祖父の介護中も、子どもの私からは何もしていないように見えた。仕事が忙しくて、する暇がなかったのだと思う。子ども心に「仕方ないんだ」と思っていた。
母は、疲れてイライラすることもあったし、怒ることもあった。でも基本は明るくて、裏表のない人だった。私は母が好きだった。父と不仲だと思ったことは一度もなく、いつも賑やかな家だった。
あの頃の母が何を飲み込んでいたのかは、「認知症になると本性が出る」と言われて考えたことに書いた。
母が変わっていった時期
母がアルツハイマー型認知症になって、いちばん大変だったのは、攻撃性がどんどんエスカレートしていった時期だ。
ただ、一日中ずっと荒れているわけではない。機嫌の乱高下があって、穏やかに話せる時間帯もある。ひどい言葉を投げられた数時間後に、何もなかったように笑っている。こちらの気持ちだけが、置いていかれる。
そして父は、その全部を受けていた。理不尽なことを言われても、手が出ることがあっても、母の言うことを聞いて、優しくして、家事もして。
家事を父がやるようになるまでの経緯は、認知症の母に、家事をやらせたほうがいいの?に書いた。
「嫌になるよね」と言ったら
あるとき、私は父に言った。「お母さんにそんなこと言われたら、嫌になるよね」と。
父は少し間を置いてから、こう言った。
「今まで散々世話になったのに、放り出せないでしょ」
怒っていなかった。嘆いてもいなかった。ただ、当たり前のことを言うように、そう言った。
親の介護も黙ってしてもらったし、家族のこともさんざん支えてもらったから、どんなになっても放ってはおけない——父の中では、もう答えが出ているのだと思う。
私は、なんとも言えない気持ちになった。慰めの言葉も、感心する言葉も、出てこなかった。「そうだね」とも言えなかった。ただ、その言葉が胸の中にずっと残った。
弟が言った「底をついちゃうよ」
母の機嫌がいいときに、弟がこう言ったことがある。
「今までのことがあるから面倒見てもらえてるけど、それも案外あっという間に底ついて、お父さんだって嫌になっちゃうよ」
母がこれまで積み上げてきたものがあるから、父は今それを返している。でも、それは無限じゃない——そういう話だった。
だから私たちは、何度も母に話した。いくらお父さんだって、底をついてしまうよ。もう少し穏やかに、もう少し優しく。
そのたびに、母は声を荒げた。
「これ以上どうやって優しくするのよ!」
この言葉を、私は忘れられない。母の中では、もう精一杯だったのだと思う。私たちには届いていなかったけれど、母の側にも必死さがあった。今なら、そう思える。
父が言った「幸せの貯金」
父から、「幸せの貯金」という言葉を聞いたことがある。
人が誰かにしてもらったこと、受け取った愛情は、心のどこかに積み重なっていく。その貯金があるから、どんなに辛くても人は誰かを支え続けられる。
「でも、お母さん。お父さんにあんまり可哀想なことをしていると、『幸せの貯金』そこをついちゃうよ」
父がそう言うのを聞いたとき、胸がじんとした。弟の話と、同じものを指していると思った。
貯金は、あの頃の母が積んだものだ。送り迎えと、早朝の弁当と、祖父を看取った日々。それを本人が忘れてしまった今、覚えているのは父と、私たちだけになった。
怒らない父が、怖くなるとき
怒らない人を見ていると、ときどき怖くなる。
怒る人は、まだ感情がある。限界が来れば声に出す。でも怒らない人は、どこに限界があるのかわからない。気づいたときには、静かに折れてしまっているかもしれない。
父が怒らないのは、強いからなのか。それとも、もうそれすら諦めてしまっているのか。私にはわからない。
「放り出せないでしょ」という言葉は、愛情の言葉だと思う。でも同時に、その言葉がどれだけの重さを背負っているかを思うと、娘として、胸が痛い。
でも、父は私を庇ってはくれなかった
正直に書いておきたいことがある。
母の攻撃は、父にだけ向いていたわけではない。私にも向いた。それでも私は、父に庇ってもらった記憶がない。
むしろ、こう言われた。「揉め事を起こすな」「お前が来ると引っ掻き回す」——そういう扱いだった。
父の中では、母が一番。母には、何をされても優しくする。その順番は、はっきりしていた。
責めたいのではない。父は父の「貯金」を、母のために使っている。それは母が積んだものだから、そうなるのが自然なのだと思う。
それに、あの頃の父にも余裕はなかった。火種を増やしたくなかったのだと、今は思う。
私は、いつも庇われません。でも、愛されていないとは思っていません。だから大丈夫です。
「幸せの貯金」は、二人の間にあるものだった。子どもは、その外にいることがある。
介護する側も、誰かに話せる場所が必要だと思う
認知症介護の話をするとき、どうしても「介護される側」の話になりがちだ。でも、介護する側——父のような人の孤独は、なかなか表に出てこない。
怒鳴られても笑っている。文句を言われても黙っている。「大丈夫」と言い続けている。そういう人が、一人で全部抱えている。
父が誰かに話せる場所があればいいと思う。専門家でも、サービスでもいい。「放り出せない」と思いながら、それでも誰かに少し預けられる時間が、あればいいと思う。
父のことを思うとき、私はいつも少し遅れてしまっている気がする。気づいたときには、もう父は「大丈夫」と言っている。
それでも、見ていたいと思う。見ていることしか、今の私にはできないから。
📋 介護している側が、少し休める選択肢
「自分が頑張るしかない」と思い込んでいませんか。介護保険外のサービスを使えば、特定の時間帯だけでも誰かに任せることができます。まず話を聞いてもらうだけでも、違います。
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