母が手首を骨折したのは、ある朝の散歩のときだった。
転んで骨を折った。病院で処置してもらって、ギブスをした手で帰ってきた。でも母は、そのことをすぐに忘れてしまう。痛みでハッとして、父に「手が痛い」と訴える。父が説明する。また忘れる。また訴える。その繰り返しだった。
(骨折そのもののことは 認知症の母が骨折した。介護が一段階重くなった日 に書いた)
夕方、母は父に言った。「手が痛いから、湿布を貼って」と。ギブスをした手を差し出しながら。
父は何度も説明した。骨を折ったこと。病院に行ったこと。ギブスはそのままにしておかないといけないこと。でも母には伝わらない。「手当してくれない」と怒りはじめた。そしてギブスを自分で取ろうとした。
父は止めた。母はさらに抵抗した。取っ組み合いのような形になった。
電話口から聞こえてきた声
別の家で暮らしている私に、父から電話がかかってきた。
電話口の向こうで、母の声が漏れ聞こえた。
「殺してやる」
薬を変えてから初めての、大きな揉め事だった。父は静かな声で言った。「手に負えないから、来てくれ」と。
20時を過ぎていた。
うちから実家までは、車で5、6分だ。近い。だから、行かない理由がない。
子どもたちを置いて、家を出た。
電話は、たいてい母からかかってくる。父からは、あまりない。その夜は、父からだった。
階段で壁を押さえてしゃがんでいた父
駆けつけると、母は2階から父を落とそうとしていた。父は階段の途中で、壁に手をついてしゃがみこんでいた。落ちないように、ただそこに踏ん張っていた。
私が声をかけると、母の興奮は少し落ち着いた。父はゆっくり立ち上がって、何も言わなかった。困り果てた、という顔をしていた。
怒っていなかった。泣いてもいなかった。ただ、疲れ果てていた。
この電話は、初めてではなかった
母の攻撃性が強くなっている時期は、実家から電話がかかってくることがある。ほとんどは母からだ。父からは、あまりない。
それでも、父から「来てくれ」と言われたのは、この日が初めてではなかった。前にも、何度かあった。
翌日から、入浴介助が始まった
翌日から、父が母の入浴介助をすることになった。
母は、父のやり方が気に入らないらしかった。あれが違う、これが違う、と文句を言いながら、あれこれやらせた。申し訳ないという様子も、ありがとうという言葉もなかった。ただ、太々しくそこにいた。
でも私が手伝いに入ると、母は何度も言った。「お父さんはよくやってくれる」と。
その言葉を聞きながら、私は少し複雑な気持ちになった。本当はわかっているんだ、と。ただ、父の前では素直に言えないだけで。
私も、時間を母に合わせた
父が入浴介助をするようになってから、私もなるべく居合わせるようにした。
母がお風呂に入る時間に、私が行く。私の予定に合わせてもらう、ということはできないからだ。母の時間は動かせない。動かせるのは、私のほうだった。
そのことを、私は誰にも言っていない。父も、腰のことを私に言わなかった。
「ぎっくり腰なんだ」——誰にも言わなかった
翌日、私が入浴介助を手伝っているとき、父の動きがどこかぎこちなかった。
「痛そうだね」と言うと、父は少し間を置いてから答えた。
「ぎっくり腰なんだ」
おそらく前日の、あの取っ組み合いのような場面で傷めたのだと思う。でも父は黙っていた。私に言わなかった。介助をやめなかった。
「大丈夫なの」と聞くと、「大丈夫だよ」と言った。
父が行ったのは、病院ではなく整体だった。
痛みは、数日では終わらなかった。その間も、入浴介助はやめなかった。
腰は、一応は治った。でも今も、ちょくちょく痛がっている。あの日の腰なのかどうかは、わからない。
その「大丈夫」が、一番つらかった。
調べてわかったこと——答え合わせ
父の腰は、父の不注意だったのか。調べてみた。
介護で腰を痛めるのは、起きて当たり前のことだった
厚生労働省は2013年、19年ぶりに「職場における腰痛予防対策指針」を改訂して、福祉・医療分野の介護・看護作業を対象に加えた。
そのときの通達には、こう書かれている。腰痛は「依然として多くの業種で業務上疾病全体に占める割合が最も大きい疾病」であり、「社会福祉施設をはじめとする保健衛生業においては、最近の10年間で発生件数が2.7倍に増加している」(厚生労働省 基発0618第1号・平成25年6月18日)。
介護をしていて腰をやるのは、たまたまでも、気のゆるみでもない。国が19年ぶりに指針を書き直すくらい、起きて当たり前のことだった。
ただし、これは「職場」の話だ。リフトなどの福祉用具を使うことが前提になっている。
父がやっているのは、家の風呂場だ。指針もないし、用具もない。交代する人もいない。
指針では、腰に大きな負担がかかる移乗の介助では、リフトなどの福祉機器を積極的に使うこととし、原則として人力で人を抱え上げることは行わせない、とされている。
抱え上げないこと。それが、国の出した答えだった。
家でそれをやろうとすると、道具を入れるか、人を入れるかのどちらかになる。うちはまだ、どちらもしていない。
いちばん多い介護者は、配偶者だった
厚生労働省の2022年 国民生活基礎調査によると、同居して介護している人のうち、いちばん多い続柄は配偶者で22.9%。そして介護している人の31.1%は男性だった。
父は、珍しい存在ではなかった。
限界は、声に出さない
介護をしている家族が「限界です」と言うとき、それはもう限界をとっくに超えている。
父を見ていて、そう思う。腰が痛くても黙っている。怒鳴られても踏ん張る。弱音を吐かない。それが父の「普通」になってしまっている。
でも、普通じゃない。どう考えても、普通じゃない。
ぎっくり腰で、取っ組み合いになった翌日も、入浴介助をする人が「大丈夫」なわけがない。
この父が、今は母の移動も引き受けている(→免許を返納したあとに来たもの——「ご褒美ちょうだい」と言った母と、父が運転する車)。
父が大変すぎる、と思ったその先のことは 「認知症の母を施設に入れたい」と思った日 に書いた。
あの夜、私は子どもたちを置いて家を出た。介護と子育てが同時にのしかかることについては 介護と子育てに引き裂かれて——「ダブルケア」と、子どもへの影響に気づいた日 に書いた。
📋 一人で抱えすぎていると感じたら
入浴介助や身体介護は、介護者自身の体への負担が大きい作業です。「大丈夫」と言い続けていても、体は正直に反応します。介護保険外のサービスでも、こうした場面をサポートできることがあります。
今は、少しでも父の荷物を軽くしたいと思いながら、私は両親の家に通っている。
24時間ずっと一緒にいる父が、いちばんつらい。忘れてしまうけれど、母がいちばん大変だ。
私は、できることをするしかない。
📖 父シリーズ——同居介護のリアル
▶ 認知症の妻に怒鳴られる夫——それでも怒らない父を見て、私が思うこと
📖 あわせて読みたい
👉 認知症の母が、何度も電話をかけてくる——ホワイトボードで電話は減った。それでも、一人にはしておけない
家事をしてこなかった父が、今は洗濯もしている。その話は 認知症の母が、洗濯機もリモコンも使えなくなった に書いた。


コメント