「憎い」と言われた日のこと。——診断前の、一番辛かった時期

母のこと

仕事から帰ってきて、玄関を開けた瞬間だったり。朝、起き出してきて、顔を合わせた瞬間だったり。

「あんたが憎い。」

母はそう言った。何かがあったわけじゃない。特別なきっかけもなかった。ただ、顔を合わせたら、そう言われた。

あの頃は、まだ母が認知症だとわかっていなかった。

だから、純粋に傷ついた。

診断前の、一番辛かった時期

今思えば、あの頃が一番しんどかった。

認知症という言葉がまだなかったから、「母が変わってしまった」「私が何かしたのか」「なぜこんなに憎まれるのか」——それだけが頭の中をぐるぐるしていた。

朝、実家を出るとき。夜、帰ってきたとき。顔を合わせるたびに、何が来るかわからない緊張があった。普通の顔をしているときもある。でも突然、言葉が飛んでくる。

父は、庇ってくれなかった。

それも、じわじわと効いた。母に何か言われても、父は黙っていた。助けを求める場所が、家の中になかった。

離婚を話したとき、母は「帰っておいで」と言った

離婚を決めたとき、私は母に話した。

何でも相談できる母だったから。どんなことでも、まず母に話してきたから。

「帰っておいで。一緒に住めばいいじゃない。」

母はそう言ってくれた。そのときの母の顔を、今でも覚えている。

でも、翌日には忘れていた。

離婚の話を忘れているから、関係ないところで怒る。「憎い」と言う。そういうことが続いた。

「帰っておいで」と言ってくれた人と、「憎い」と言う人が、同じ母だった。

診断が出てから——「半々」の気持ち

認知症の診断が出たとき、「あれは病気のせいだったんだ」とわかった。

頭では、理解できた。

でも、「だから傷つかなかったことになる」とはならなかった。今でも、あの頃の言葉を思い出すことがある。胸が痛くなる。

「病気だからしょうがない」と「でも傷ついた」は、両方本当のことだと思う。どちらかを選ぶ必要はないと、今は思っている。半々でいい。

介護をしている人の中に、同じような経験をしている人がいると思う。診断前に、病気とわかる前に、たくさん傷ついた人が。

あなたが傷ついたことは、本物だ。病気のせいだとわかっても、その痛みは消えなくていい。

それでも、今は笑える日もある

今の母は、「憎い」とは言わない。穏やかな日もある。アイス代を2回くれる日もある。

あの頃の言葉と、今の母を、どう重ねればいいのか、まだよくわからない。

でも、「帰っておいで」と言ってくれた母は、本物だったと思っている。あの言葉は、ちゃんと届いていた。

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