母が骨折した。
転倒して手首を骨折。それだけで、介護の重さが一段階上がった。
雪の翌日、いつもの散歩で転んだ
両親は毎日、長い散歩を習慣にしている。母は出かけるまでぐずぐず言うが、外に出てしまえば気が紛れる。体も疲れる。よく眠れる。雨の日は夕方の機嫌が特に悪くなるので、なるべく外に出したかった。
雪の翌日も、父は母を散歩に連れ出した。本人も父も、「いつも通り」のつもりだったと思う。でも母の体は、本人が思っている以上にうまく動かなくなっていた。足がもつれて転び、とっさに手をついた。手首の骨折だった。あとの検査でカルシウム不足も分かって、思った以上に重傷だった。
骨折したことを、本人が覚えていない
認知症の母にとって、骨折は「体験」として残らない。
病院に行ったことも忘れる。ギプスをしていても、なぜ腕に何かついているのかわからない。「外して、湿布にしてほしい」とごねる。父が応じないと「治療してくれない悪い人」になる。「お金がかかるから病院に連れて行かない」という妄想も混じって、暴れることもあった。
骨折の痛みよりも、わけのわからない拘束への不満の方が強いのだと思う。父はそのたびに、一から説明するしかなかった。
骨折前と後で、何が変わったか
骨折する前は、日常のことは大体自分でできていた。着替えも、トイレも、お風呂も。認知症の症状はあっても、体の動きはまだ自立していた。
それが骨折によって、手が使えなくなった。着替えに手伝いが必要になった。食事もうまく持てない。そして何より、お風呂に一人で入れなくなった。
介護している側としては、「また一つ、できないことが増えた」という感覚だった。じわじわと、でも確実に。
父への負担が、一気に増えた
一緒に住んでいる父が、日中の介護を主に担っている。骨折前でも大変だったのに、骨折後はその負担がさらに重くなった。
折悪く、父はギックリ腰を抱えていた。自分も体が辛い中で、嫌がる母のお風呂をサポートする。母は機嫌が悪く、文句も多い。父のストレスは限界に近かったと思う。
「大丈夫」と言う父を信じていたが、本当は全然大丈夫じゃなかった。
デイサービスを週2回に増やした
弟と相談して、ケアマネージャーに連絡を入れた。父を通すと「大丈夫」と断られてしまうため、私たちから直接動いた。
デイサービスを週1回から週2回に増やすことになった。父の休める時間を作ること、そして母に日中の活動の場を作ること。両方のためだった。
母は行く前はぐずぐずするが、行ってしまえば楽しんで帰ってくる。それがわかっているから、こちらも踏み切れた。
あとから知った「区分変更申請」のこと
骨折のように、介護が一段階重くなったとき。知っておきたかったのが「区分変更申請」という仕組みだ。
要介護度の見直しは、次の更新時期まで待たなくていいらしい。状態が大きく変わったときは、期間の途中でも申請して、介護度を見直してもらえる。窓口は市区町村だが、まずはケアマネさんに「区分変更ってできますか」と聞くのが早いと思う。
介護度が上がると、使えるサービスの量(支給限度額)が増える。デイサービスの回数を増やす、入浴の介助を頼む、福祉用具を借りる——打てる手の幅が広がる。うちはデイを週2回に増やすところから始めたけれど、こういう仕組みがあると知っているだけで、「増えた負担をどう分けるか」の考え方が変わったと思う。
ケアマネさんに伝えるときは、「骨折してから、着替え・食事・入浴に介助が必要になった」と、変わったことを具体的に。メモに書いて渡すのでもいい。※認定の結果や手続きの細かい流れは地域によって違うので、そこは担当のケアマネさんに確認してほしい。
転んだのは、散歩のせいじゃない
骨折のあと、散歩をやめるという結論には、しなかった。
散歩は母の機嫌と睡眠の土台だ。外に出れば気が紛れて、体が疲れて、よく眠れる。これを取り上げたら、別の問題が増えるだけだと思った。
ただ、振り返って分かったことがある。「できるつもり」と実際の体の差は、本人には見えない。母は「いつも通り」のつもりで歩いて、転んだ。だとすれば、路面と天気を見て判断する係は、家族がやるしかない。雪や雨の翌日は、無理をしない。
骨は、何十年ぶん後回しにされていた
検査で分かったのは、カルシウム不足だった。
母は今年74歳になる。64歳までパートで働いていた。私の知る限り、ヨガのほかに、自分のためにサプリを飲むとか、体のメンテナンスをしている姿を見たことがない。家のことと仕事で手いっぱいで、自分の骨は、何十年も後回しのままだったのだと思う。
この世代の母親には、きっと同じ人が多い。そしてカルシウム不足は、痛くもかゆくもないから、転んでみるまで分からない。
だから、親がまだ転んでいないうちに、骨の状態を一度調べておく価値はあると思う。かかりつけ医に「骨密度って調べられますか」と聞くだけでいい。うちは、折れてから知った。
「大丈夫」と言う人ほど、大丈夫じゃない
この骨折でいちばん学んだのは、実は母のことではなく、父のことだった。
「大丈夫」と言う父を信じていたが、本当は全然大丈夫じゃなかった。限界のサインは、本人の口からは出てこない。うちがそれに気づいたのは、母のある一言がきっかけだった(「家がやなんでしょ」——認知症の母の一言が、父の限界を教えてくれた)。
そして、父を通すと「大丈夫」で止まってしまうから、私たちは家族から直接ケアマネさんに連絡した。言いにくかったけれど、声を上げたら状況は動いた(ケアマネさんに電話した日——言いにくくても、声を上げてよかった)。
骨折は、いつか治る。でも介護する側が折れたら、全部が止まる。「また一つできないことが増えた」ときは、家族の誰かの負担も一段階増えている——それがこの記事でいちばん伝えたいことかもしれない。
ちなみにこのあと、うちには次の山が待っていた。ギプスが外れたあと、母がリハビリを拒否したのだ。その話は別に書いた(認知症の親がリハビリを拒否する理由——「仮病では?」と疑った自分を責めないでほしい)。
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このときの骨折と、その前の指の骨折があって、母は自転車にも乗らなくなっていった(→免許を返納したあとに来たもの——「ご褒美ちょうだい」と言った母と、父が運転する車)。
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骨折やADLの低下など、介護が一段階重くなったとき、一人で抱え込まないことが大切です。介護保険外のサービスも選択肢のひとつです。
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